書いてあることを全部確かめたのに、なぜ間違いは減らないのか。答えはたぶん単純で、間違いの多くは、書いてあることの中ではなく、書かれずに落ちたところに潜んでいるからだ。見えている一枚をどれだけ丹念に見ても、そこに無いものは見えない。
01全部確かめたのに、見落としていた
ある資材を通したときのことを、今でも覚えている。一枚もののパンフレットだった。効能の書きぶりも、注記も、グラフの軸も、承認された内容と一つずつ突き合わせた。数字は合っていた。表現も範囲を出ていない。指摘は無し。私はその日を「軽い日」に数えた。
半年ほど経って、元の論文を読んでいた同僚が、ふと言った。「あのグラフ、主要評価項目ではないですよね」。手元の資材を見返した。書いてある数字は、たしかに論文のとおりだった。主要評価項目ではない、とは、どこにも書かれていない。書かれていないのだから、私が突き合わせた範囲では、何ひとつ間違っていなかった。
あのとき私が確かめていたのは、資材と資材の中の整合だった。元の論文と資材のあいだにある落差は、最初から視野の外にあった。
考えてみれば当たり前で、論文は数十ページある。資材は一枚だ。一枚にするというのは、削るということだ。試験に参加した人の条件、除外された人、追跡できなかった人数、いくつも並んだ指標のうちのどれか一つ。削られたものは、削った人の手元にしか残らない。受け取った側から見れば、削られたものは初めから存在しない。
02目の前にある情報だけで、話は完結してしまう
この落とし穴には、ちゃんと名前がついている。心理学者のダニエル・カーネマンが WYSIATI ── 見えているものが、すべて ── と呼んだものだ。頭の中の速い判断は、情報が足りているかどうかを気にしない。手元の材料でうまく物語が組み立てられたかどうかだけを気にする。
やっかいなのは、この癖が情報が少ないときほど強く働くことだ。材料が少なければ、矛盾も少ない。矛盾が少なければ、話はきれいにまとまる。まとまった話には自信がついてくる。よく整理された一枚の資材は、だから、いちばん危ない。破綻が無いのは、破綻するだけの材料が残っていないからかもしれないのに。
そこに確証バイアスが重なる。私はふつう、「この資材は正しいか」を確かめにいく。正しいことを示す材料は、資材の中にそろっている。そろっているように作られているのだから、当然だ。「正しくないとしたら、それはどこに書かれていない情報か」という向きの問いは、意識して立てないかぎり、まず出てこない。
つじつまが合うと安心する
手元の材料で話がきれいにまとまると、確かめ終えた気になる。まとまりの良さは、情報が足りている証拠ではない。
材料が少ないほど、まとまる
矛盾は材料の数だけ生まれる。よく整理された一枚に破綻が無いのは、破綻するだけの材料が残っていないからかもしれない。
問いが片側にしか向かない
「これは正しいか」を支える材料は資材の中にそろっている。「書かれていない何かがあるとしたら」は、意識して立てないと出てこない。
だから、「書いてあることは全部確かめた」という手ごたえは、安心の材料にならない。それは視野の中を全部見たという報告であって、視野が正しかったかどうかについては、何も言っていない。
03灯りの下だけを、探している
夜道で鍵を落とした男が、街灯の下を這って探している。通りかかった人が「ここで落としたんですか」と聞くと、男は答える。「いや、落としたのはあっちだ。でも、こっちのほうが明るいから」。古い小話だが、笑えない。
1972年12月、フロリダの空でこれが起きた。マイアミへ向かう旅客機が着陸態勢に入ったとき、前輪が下りたことを示すランプが点かなかった。機長も副操縦士も航空機関士も、そのランプにかかりきりになった。実際に故障していたのは、ランプの電球一個だった。前輪は下りていた。
三人が小さなランプを覗き込んでいるあいだ、自動操縦がわずかに外れた。飛行機はゆっくりと高度を落としていった。高度計は、コックピットのすぐ目の前にあった。誰も見ていなかった。機体は湿地帯に墜落し、百人あまりが亡くなった。全員が、いちばん明るいところを、いちばん熱心に見ていた。
資材の机で起きていることは、規模こそ違え、形がよく似ている。一枚の資材の前に、作る側と、審査する側と、営業の担当者が集まっている。全員がその一枚を熱心に見ている。文字の大きさ、注記の位置、色。そのあいだ、元の論文を開いている人は、部屋に一人もいない。
気を抜いていたのではない。むしろ逆で、目の前のものに集中していたからこそ、視野の外が消えた。真面目さは、この種の見落としを防いでくれない。
04「それは誰の仕事か」で、誰の仕事でもなくなる
「元の論文に当たるのは、作る側の仕事でしょう」。この言い方を、私は何度も聞いたし、たぶん自分でも言ったことがある。理屈は通っている。資材を起案したのは作る側だ。根拠をそろえる責任も、まず作る側にある。分担としては、正しい。
ただ、この一言が置かれた瞬間に、審査する側の視野から、元の論文が静かに消える。分担は、責任の所在をはっきりさせるための線だったはずが、いつのまにか「見ない理由」に化けている。
心理学には、これを説明する古い研究がある。人が倒れているのを見たとき、周りに人が多いほど、誰も助けに入らなくなる。責任の分散だ。自分以外の誰かがやるだろう、と全員が同時に思ってしまう。悪意のある人は一人もいない。それでも、誰も動かない。
1978年12月、オレゴン州ポートランドの上空で、これに近いことが起きた。着陸装置の異常を確かめるため、旅客機は空港の周りを旋回し続けた。機長は装置のことで頭がいっぱいだった。副操縦士と航空機関士は、燃料が減っていくのを見ていた。二人は何度か、それとなく口にしている。はっきりとは言わなかった。機長は気づかなかった。飛行機は燃料を使い切り、住宅地の手前に墜落した。十人が亡くなった。
この事故のあと、航空業界はCRMを本格的に取り入れた。乗員が上下関係を越えて、気づいたことをその場で言い合うための訓練だ。技量の問題ではなく、気づきが席の間を渡らないことが事故を起こす、と整理し直したわけだ。
| 見るところ | 分担が働いているとき | 分担が言い訳になっているとき |
|---|---|---|
| 元の論文 | 作る側が当たり、審査側も要所は自分で開く | 作る側の仕事だから、と誰も開かない |
| 気づいたとき | 役割に関係なく、その場で口に出す | 自分の担当ではないので黙っている |
| 言葉づかい | 「ここは確かめましたか」 | 「そちらで確かめているはずですよね」 |
| 結果 | 視野が重なり、隙間が埋まる | 全員の視野が同じ一枚に集まり、外が空く |
05記録に無いものは、無いことになる
1966年10月、ウェールズの小さな炭鉱町で、ぼた山が崩れた。石炭を掘ったあとの捨て石を、長年積み上げた山だった。崩れた土砂は坂を下り、小学校を飲み込んだ。百四十四人が亡くなり、そのうち百十六人が子どもだった。
調査で分かったのは、その山が湧き水の上に積まれていたということだった。地質図には載っていた。地元の人も知っていた。前にも小さな崩れが起きていた。それでも、石炭公社の管理の書類の上では、その山は問題の無い山だった。書類に無い危険は、組織にとって存在しない危険だった。
日本にも似た形の事故がある。1963年11月、三井三池の炭鉱で炭じん爆発が起きた。四百五十八人が亡くなり、一酸化炭素中毒で長く苦しんだ人はその倍近くに上った。坑内に細かい炭の粉が積もっているのは、そこで働く人にとって日常の風景だった。日常の風景は、危険の一覧には載らない。載っていないから、誰も数えない。
心理学者のジェームズ・リーズンは、事故をこう整理した。目に見える不安全な行動の下には、何年も前から仕組みの中に潜んでいる潜在的な条件がある。設計や手順や慣習の中に、ずっと以前から埋まっている弱点のことだ。見えているほうだけを直しても、潜んでいるほうは残る。残っていれば、いずれ別の人の手で、同じ形の事故がまた起きる。
資材の話に戻す。指摘の一覧に並ぶのは、誰かが気づいた種類の間違いだけだ。誰も見に行かなかった場所で起きている乖離は、一件も記録に残らない。そして記録に残らないものは、集計にも、報告にも、改善の計画にも出てこない。ゼロ件は、無いことの証明ではなく、見ていないことの証明かもしれない。
06間違いが減らないなら、書いていない側を見る
同じ種類の間違いが続くとき、私たちはたいてい、確かめる箇所を増やす。一覧に項目が一行足される。次の月、また似たことが起きる。もう一行足される。それでも減らない。
減らないのは、足している項目が全部、見えている側にあるからだ。資材の中をどれだけ細かく刻んでも、資材と元の論文のあいだの落差は、一ミリも見えるようにならない。物差しを細かくしても、測っていない場所は測れない。
安全の研究者エリック・ホルナゲルは、想定されている仕事と、実際に行われている仕事は必ずずれる、と言った。手順書を読んでも現場は分からない。分かるのは、手順書がどう書かれたか、だけだ。同じことが資材にも言える。資材を読んで分かるのは、作った人が何を伝えたかったか、であって、元のデータが何を語っているかではない。
だから、間違いが出ているときに見るべきなのは、書いてある側ではなく、書かれなかった側だ。具体的にはこうなる。
落としたものを、一行書いてもらう
この資材をつくるにあたって、元の資料から何を落としたか。作る側にとっては当たり前の情報でも、受け取る側には見えない。一行あるだけで、視野が外へ開く。
自分で開く範囲を、先に決める
すべてに当たるのは無理だ。新しい訴求、グラフの作り直し、部分集団の数字。この三つは必ず元を開く、と決めておけば、その場の忙しさで判断が揺れない。
見なかった場所を、記録に残す
指摘だけを記録すると、見た範囲の記録しか残らない。今回は元を開かなかった、と書いておくと、次に事が起きたとき、どこが空いていたかが分かる。
ここでもう一つ、気をつけたいことがある。社会学者のダイアン・ヴォーンが、スペースシャトルの事故を調べて逸脱の常態化と名づけたものだ。毎回少しずつ基準から外れ、それが通ってしまう。そのうち、外れているほうが普通になる。「前回もこの書き方で通った」は、それ自体が根拠のように振る舞いはじめる。前回の判断は、前回の資材についてのものであって、今回の元データについては何も言っていないのに。
07疑うことと、信じないことは違う
元の論文に当たりましょう、と言うと、作る側を疑っているように聞こえることがある。ときには、そう受け取られて空気が固くなる。だから、ここははっきりさせておきたい。
情報の落差は、誰の悪意も無しに生まれる。数十ページを一枚にするなら、何かは必ず落ちる。落とす判断は、たいてい善意でなされる。読みやすくしたい、大事なところを伝えたい。その善意の一つひとつが、受け取る側から見れば見えない穴になる。穴が空くのは、人が不誠実だからではなく、圧縮という作業がそういうものだからだ。
だから、元に当たるのは、相手を信じていないからではない。圧縮の過程で必ず何かが落ちる、と知っているからだ。これは相手への評価ではなく、仕事の性質についての理解にすぎない。そう考えられるようになってから、私は「元の論文、一緒に見ませんか」と言うのが、ずいぶん楽になった。
そしてこれは、良心の置き場所の話でもある。書いてあることを確かめるのは、責任を果たしたという記録を残す作業だ。書いていないことを見に行くのは、記録には残らない。誰も褒めない。やらなくても、その日は何ごともなく終わる。それでも見に行くかどうかは、手順ではなく、その人が何を気にかけているかで決まる。
見えているものを丁寧に見る力は、この仕事の土台だ。それは疑いようがない。ただ、その力だけでは届かない場所があることも、同じくらいはっきりしている。ランプの電球を三人で覗き込んでいるあいだ、高度計は誰にも見られていなかった。書類の上で安全だったぼた山は、地質図の上ではずっと前から危なかった。
私たちが見落とすのは、たいてい、見ようとしなかったものではない。見る対象として、初めから数えていなかったものだ。だから間違いを減らしたいなら、目を凝らす前に、視野の縁がどこにあるかを一度確かめたほうがいい。そこに無いものは、どれだけ目を凝らしても、見えないままだから。
- 資材と元の資料には、必ず情報量の差がある。「書いてあることは全部確かめた」は、視野の中を全部見たという報告にすぎず、視野が正しかったかは何も語っていない。
- 「元に当たるのは作る側の仕事」と分担を置いた瞬間、全員の視野から元の資料が消える。分担は責任の線であって、見ない理由ではない。
- 間違いが減らないときに確かめる箇所を増やしても、増やしているのは見えている側だけだ。落としたものを申告してもらう、自分で開く範囲を先に決める、見なかった場所を記録に残す。
- ダニエル・カーネマン. ファスト&スロー(上). 早川書房, 2012.(目の前の情報だけでつじつまを合わせる心の癖)
- ジェームズ・リーズン. 組織事故. 日科技連出版社, 1999.(目に見える行動の下にある、潜在的な条件)
- エリック・ホルナゲル. Safety-I & Safety-II ── 安全マネジメントの過去と未来. 海文堂出版, 2015.(想定されている仕事と、実際に行われている仕事のずれ)
- ダイアン・ヴォーン. The Challenger Launch Decision. University of Chicago Press, 1996.(逸脱が少しずつ普通になっていく過程)
- National Transportation Safety Board. Aircraft Accident Report: Eastern Air Lines Flight 401. NTSB-AAR-73-14, 1973.(表示灯に注意が集まり、高度の監視が途切れた経緯)
- National Transportation Safety Board. Aircraft Accident Report: United Airlines Flight 173. NTSB-AAR-79-7, 1979.(気づきが席の間を渡らず、燃料を使い切った経緯。CRM 導入の契機)
- Tribunal appointed to inquire into the Disaster at Aberfan. Report of the Tribunal. HMSO, 1967.(地質図に載っていた湧き水が、管理の書類には無かった)
- 畑村洋太郎. 失敗学のすすめ. 講談社, 2000.(記録に残らない失敗は、組織の学びにならない)