辞令を受け取った日、その審査員はまだ「止める人」のつもりでいた。部門長というタイトルが何を意味するか、頭では理解していた。だが腹には落ちていなかった。翌朝、席に座り、部下十四人の顔を順に見たとき、初めて気づいた。「全体」とはここから先の話ではない。自分が、すでに全体の一部を背負う立場になっている。 正義病の寛解から数年。グレーを見る目を取り戻し、自己監視の習慣を身につけた。それが新たな試練にどこまで通じるか ── 本回は昇進という転換点が人の視点に何をするかを描く。
「止める人」だった頃
資材審査員として十年余り、その人物のアイデンティティは明快だった。誇大表現を見つけ、指摘し、修正させる。その繰り返しだった。職種の性質上、アウトプットは「直した数」ではなく「通した数」でも測られるが、本音では「止めた案件」に手応えを感じていた。かつて正義病の発症と進行を経て、それが白黒思考に変わる危険を身をもって知った。寛解後は「止める」ことと「全体を守ること」の区別をつけながら仕事をするよう意識してきた。それでも、座標軸の原点は変わっていなかった。局所に構えた観察者として、個々の資材に向き合うことが自分の仕事だという感覚。
その座標軸が根ごと動いたのが、昇進だった。
辞令が変えるもの
辞令は短かった。「医薬品情報管理部 部門長を命ずる」。人事部長が手渡すとき、「期待している」と言った。その言葉の重さは、もう少し後になってわかった。
経営者教育の古典的知見に、こんな観察がある。個人貢献者から管理職への移行は、職種変更に近い質の転換だと。Linda Hillが一九九二年の研究で追った新任管理職たちは、全員が共通の誤解を抱えていた。管理職になることは「より大きな権限で同じ仕事をすること」ではない。仕事そのものの定義が変わる。自分でやる者から、他者が動く条件を整える者へ。見つける者から、見つけられる仕組みを作る者へ。
だがその転換を、辞令を渡される瞬間に理解している人はほとんどいない。この人物も、例外ではなかった。
見えなかった全体が、自分になる
着任して一週間で、複数の問題が同時に机に積まれた。ある製品の資材改訂がスケジュールに遅れている。審査員の一人が精神的に消耗している。マーケティング部門との合意が崩れかけている。これらは個別の問題ではなかった。相互に絡み合い、どれかを優先すれば別のどれかが悪化する構造を持っていた。
それまでの仕事では、こうした問題は「自分の上流」か「自分の隣」にあった。局所の観察者として、目の前の資材と向き合えばよかった。だが今は違う。全体のどこかで何かが詰まれば、それは自分が放置したことと同義になる。Russell Ackoffがシステム思考の文脈で繰り返したことがある。システムの目的はその部分の最適化の総和では達成されない、と。部分を最高の状態にしても、繋ぎ方が悪ければシステム全体は劣化する。Ackoffはこの問題を定式化してこう述べた。システムを理解するには全体から出発しなければならず、部分を積み上げても全体には届かない、と。審査員としての自分は、優れた部品だったかもしれない。今は部品を組み合わせる側になった。
技術的問題と適応的問題 ── 二種類の「難しさ」
Ronald Heifetzはリーダーシップ論において、問題を二種類に分けた。技術的問題とは、専門知識と既存の手順を使えば解決できるものだ。適応的問題とは、問題の定義自体が不明確で、関係者が自分自身の考え方や行動を変えなければ前進しないものだ。
技術的問題
手順と専門知識で解ける。「誰かが解決する」と言える。資材の誤記修正、法規制への適合確認。審査員の仕事の大半はここに属していた。
適応的問題
正解が事前にない。関係者の価値観・習慣・関係性が問われる。部門間の対立、組織文化の変容、長期的トレードオフ。経営の仕事の中核はここにある。
混在型
表面は技術的に見えるが、根は適応的な問題。締め切りの遅延は手順の問題に見えても、その背後に判断軸の不一致がある場合がほとんどだ。
この区別を知らずに管理職になると、技術的な処方を適応的な問題に当てようとして消耗する。逆もある。適応的な複雑さを前に立ちすくみ、技術的な細部に逃げ込む。この人物が着任後に陥ったのも、後者だった。部門長の仕事を放棄して、資材の細かい表現確認に引き戻っていた。
「正しさ」の射程距離
正義病の経験から学んだグレー認識は、局所的な判断の場面では機能していた。ひとつの資材がグレーゾーンにあるとき、白黒で切らずに文脈と目的から考える習慣は身についていた。だが経営の座に移ったとき、「正しさ」の射程距離が問われるのだと気づくまでに時間がかかった。
| 問い | 裁く側(審査員) | 背負う側(部門長) |
|---|---|---|
| 正しさの単位 | この資材は基準に合致するか | この判断は部門全体・患者・組織にどう働くか |
| 時間軸 | 今の資材・今のルール | 今期の判断が来年の文化になる |
| 失敗の意味 | 見落とし=自分の判断ミス | 見落とし=組織が見落とす仕組みの欠如 |
| 正しさの依拠点 | 規制・基準・先例 | 状況・価値の優先順位・トレードオフ |
| グレーの扱い | 判断基準と照合して分類 | グレーを組織がどう扱うかを設計する |
こう並べると、「裁く側」と「背負う側」は同じ概念装置で動いているように見えて、要求する思考の種類がまるで違う。正義病の寛解で得たグレー認識は、確かに有効だった。だが局所の判断に適用するよう鍛えた認識を、全体設計という別の文脈に移植するには、また別の学習が必要だった。
かつての自分が、そこにいた
着任から三週間後、チーム内の若手審査員が会議で発言した。「この表現は白です。基準を満たしています」。語気に熱があった。短く、確信に満ちていた。隣のマーケティング担当者が小さく眉をひそめた。この人物には見えた。かつての自分が、そこに座っている。
正義病の第三回で描いた二項対立の段階。白か黒か、グレーは逃げだという感覚。若手審査員の発言は、そこに属していた。問題は発言の内容ではなかった。技術的には正しかったかもしれない。問題は文脈の欠落だった。その資材が誰に届き、どんな状況で読まれ、どんな誤解を招く可能性があるか。その問いが、発言の中にない。
指摘したくなった。だが、ここで指摘するべきか。何をどう言うか。それ自体が、管理職としての適応的問題だった。Ronald Heifetzの適応型リーダーシップ論が核心として描くのは、まさにこの場面だ。権威ある立場にある者が答えを出すのではなく、集団が問いを保持できる環境を整えること ── それがリーダーの本質的な役割だという。正義病を「治した」経験者として、自分はその問いをどう渡せるか。 それが、経営の座から問われる最初の試練だった。
背負うとはどういうことか
あの若手審査員に、その日は何も言わなかった。会議の後、一対一で話す機会を作った。「さっきの判断、根拠を教えてほしい」と聞いた。若手は丁寧に答えた。根拠は正しかった。その上で「この資材が届く先の医師が、どんな状況でこれを読むか、少し考えてみてほしい」と返した。その会話は十分で終わった。
帰りの電車で、この人物はひとつのことを確認した。「止める」から「背負う」への移行は、正義を捨てることではない。正義の射程を広げることだ。局所の基準への適合だけでなく、全体のなかでその判断がどう機能するかを見続けること。そのためにはまず、全体が見える場所に立っていなければならない。
正義病の寛解で得た教訓が「気づき続けること」だとするなら、経営の座ではその気づきの対象が変わる。自分の正義感の暴走を監視するだけでは足りない。自分が作る場や仕組みが、他者の正義病を育てていないかも見なければならない。裁く側から背負う側への転換は、自己監視を組織監視へと拡張することだ。
正義病 II ── 全 10 回の地図
- 第 1 回 (本回): 昇進 ── 裁く側から、背負う側へ ── 裁く側から、全体を背負う側へ。見えなかった「全体」に自分がなる
- 第 2 回: 全体最適という重荷 ──「止める」では済まない ── 「止める」では済まない。局所最適の習慣が全体責任と衝突する
- 第 3 回: 数字の論理 ── P&L という新しい言語 ── P&L という新しい言語。善意と受託者責任のずれを上から見る
- 第 4 回: トレードオフの孤独 ── 白黒で裁けない決断 ── 経営判断はすべてグレー。正解なき選択の孤独
- 第 5 回: 部下の正義病 ── かつての自分を見る ── 白黒思考に囚われた部下に、かつての自分を見る
- 第 6 回: 新しい正義病 ── 経営の正論という罠 ── 「効率」「株主のため」という別の白黒。衣を替えた正義病
- 第 7 回: 権力とメタ認知 ── 誰も止めてくれない ── 経営者には指摘者がいない。権力が自己監視を蝕む
- 第 8 回: 守るべきものは何か ── ルールの背後の目的、再び ── ルールを支える側として、守るべきものを問い直す
- 第 9 回: 架橋する ── 審査と経営の通訳になる ── 審査の規律と全体最適を翻訳し、両者を架橋する
- 第 10 回 (最終回): 経営者の日々是好日 ── 完治なき自己監視 ── 権力の座にも正義病はある。気づき続けられるかが組織の運命を分ける
昇進は役職の変更ではなく、仕事の定義の変更だ。審査員として局所に構え、個々の判断を磨いてきた十年余りは、確かな土台になっている。だがその土台の上に、別の建物を建てなければならない。局所の観察者から、全体の設計者へ。自分の正しさを問う者から、組織の正しさが育つ条件を問う者へ。この転換は、正義病の寛解で学んだ問い直しの習慣なしには、さらに困難だったはずだ。
同時に、その習慣だけでは足りないことも初週で明らかになった。グレー認識とメタ認知は、新たな文脈では新たな形で問われる。次回以降では、経営の座が突きつける「局所最適 vs 全体最適」という構造的な衝突と、それが正義病の再発リスクとどう接続するかを描いていく。
- 昇進は同じ仕事の拡大版ではない。技術的問題を解く役割から、適応的問題と向き合う役割への転換であり、要求される思考の種類が根本から変わる。
- かつて局所の観察者として磨いたグレー認識は有効だが、全体設計という文脈には追加の学習が必要だ。正しさの射程距離が変わるからだ。
- 「背負う」とは正義を捨てることではなく、正義の射程を全体へと広げることだ。自己監視が組織監視へと拡張されるとき、本当の試練が始まる。
- Heifetz, Ronald A. Leadership Without Easy Answers. Harvard University Press, 1994. (技術的問題と適応的問題の区別を提唱。管理職移行の本質を理解する基礎文献)
- Hill, Linda A. Becoming a Manager: How New Managers Master the Challenges of Leadership. Harvard Business School Press, 1992. (新任管理職が経験する認識の転換を実証的に追った研究)
- Ackoff, Russell L. Redesigning the Future: A Systems Approach to Societal Problems. John Wiley & Sons, 1974. (システム全体の目的は部分最適の総和では達成されないという洞察の源泉)