その審査員は、いつからか「グレーな判断」を恥と感じるようになっていた。第1回で「正しさ」の快感を覚え、第2回でルールの外を見失った。第3回では、その先にある変化を追う。白か黒かに割り切れない案件が目の前に積まれるとき、人は何をするか。答えを急ぐあまり、思考は二つの極に引き寄せられていく。問題は、その引力がほとんど意識されないことにある。

積み上がった案件と、最初の亀裂

その審査員の元に、マーケティング部門から新しい資材の審査依頼が届いた。医薬品の適正使用を促す医療機関向け情報提供資材だった。記載の大半はガイドラインの引用であり、誇大な表現もない。しかし一点、承認効能外の投与経路に関する研究データが注釈として小さく添えられていた。脚注の脚注、とも言える扱いだ。

規制上の解釈は単純ではなかった。未承認の使い方を「積極的に推奨する」表現ではない。だが「知識として提示する」ことが規制の趣旨に触れるかどうかは、読み方による。その審査員は三十分ほど関連通達を読み直し、やがてフォルダを閉じた。判断は「NG」。理由欄には「未承認情報を含む」と書いた。

翌日、法務部の担当者から連絡が来た。「この表現、過去に類似事例で問題なしとなっていますが、確認しましたか」。その審査員は少し間を置いてから答えた。「脚注であっても未承認情報は未承認情報です」。会話はそこで止まった。

二項対立とは何か ── 認知のくせを解剖する

精神科医 Aaron T. Beck は、うつや不安の背後にある思考パターンの体系化に生涯を費やした。その中で「全か無か思考(all-or-nothing thinking)」と呼ばれる認知の歪みを記述した。物事を連続体ではなく、どちらか一方の極としか見られなくなる状態だ。

Beck の弟子筋に当たる David D. Burns はこれを「白黒思考(dichotomous thinking)」と呼び、臨床例を豊富に示した。治療場面での話だが、その構造は職業的判断にも同じように現れる。グレーゾーンの存在を認知できなくなると、あらゆる判断が「問題あり/問題なし」の二択に収束する。そこに「どの程度か」「どの文脈か」という問いが入り込む余地がなくなる。

「ほぼ正しい」は存在しない。正しいか、間違っているかだ。中間は、どちらでもないことへの言い訳に過ぎない。 ── その審査員が自身のノートに書いた一文。日付は消えている。

この一文が何を示しているかは、後に本人が気づく。第8回まで、その気づきは来ない。

「分裂」という防衛機制

精神分析の世界では、同じ現象を「スプリッティング(splitting)」と呼ぶ。対象を「完全に良い」か「完全に悪い」にしか見られなくなる心理的な防衛機制だ。Melanie Klein が乳幼児の発達段階の観察から記述し、後に Otto Kernberg が境界性パーソナリティの理解に援用した概念だが、その構造は健常な成人にも部分的に現れる。

スプリッティングの機能は、不安の管理にある。曖昧さは認知コストが高い。白か黒かに決めてしまえば、判断の負荷が下がる。それは合理的に見えて、実際には情報の一部を捨てる行為だ。グレーの中にある文脈、ニュアンス、当事者の意図が、「白」または「黒」に振り分けられた瞬間に失われる。

その審査員が経験していたのは、病理的なスプリッティングではない。しかし職業的な判断の場面で、同じ構造の「軽い版」が繰り返されていた。繰り返されるほど、それは自分の思考スタイルとして定着していく。

グレーが「逃げ」に見える理由

なぜ白黒思考は広がるのか。第1回で触れた「正しさの快感」が、ここで再び作用する。白か黒かで判断できると、決断が速く、自分の立場も明確になる。周囲から見て「ぶれない人」に見える。そのフィードバックが積み重なると、グレーな判断は「決意のなさ」や「どちらにも媚びる態度」として映り始める。

グレーを「曖昧」と呼ぶ

本来は情報が複雑なのに、判断者の側の問題として処理される。「あなたはどちらですか」と問われ、「状況による」と答えると、その場の空気が凍る。

グレーを「妥協」と呼ぶ

「双方に顔を立てた」「波風を立てたくなかっただけ」と解釈される。グレーな判断は、判断者の誠実さへの疑いに転化する。

グレーを「逃げ」と呼ぶ

判断の重さから逃げたいがために明言を避けた、という読まれ方。グレーを示した人間が、その場で最も肩身の狭い立場に立たされる構造が生まれる。

グレーを「共犯」と呼ぶ

正義病の進んだ段階ではこれが現れる。グレーを許容した人間は問題を黙認した、という論理。「見て見ぬふり」として断罪される。

審査室での実態 ── 「問題なし」という判断の難しさ

資材審査の現場では、「NG」の根拠は記録に残る。しかし「問題なし」の根拠は残りにくい。NGは職務の証拠になるが、承認はただの「通過」として記録される。この非対称性が、審査員の行動に無意識の影響を与える。

さらに、問題が後から発覚したとき、「あのとき承認したのは誰か」という問いが立つ。NGは責任から遠い。「見逃した」という批判のリスクが、「過剰に止めた」という批判より大きく感じられる。この非対称なリスク知覚が、判断をNG側に引き寄せる。

その審査員は、この非対称をはっきりと意識していたわけではない。ただ、気がつくと「迷ったらNG」が自分の中の不文律になっていた。

観点白黒で見るときグレーを保持するとき
判断の速さ速い(二択なので即決できる)遅い(文脈を読む時間が要る)
説明の容易さ簡単(NG理由を一文で書ける)難しい(なぜOKかを文脈ごと説明する必要がある)
責任の所在NG側に立てば批判リスクが低い承認側は後から批判を受けやすい
情報の使い方ルールに照らして一致か否かを見る文脈・意図・影響のバランスを読む
規制の理解条文の字義通りに適用する条文が何を守るために存在するかを問う
周囲への影響「ぶれない」と見られる「決断力がない」と見られるリスクがある

確実性の誘惑 ── 負の能力の欠如

詩人 John Keats は1817年の手紙で、「事実や理性に急いで逃げ込もうとせず、不確かさや謎や疑念の中にとどまれる能力」を「負の能力(negative capability)」と名づけた。文学論として書かれた言葉だが、その意味は職業的判断にも及ぶ。

グレーを保持するとは、判断を宙吊りにする行為だ。「まだ決まっていない」という状態に耐える力が要る。それは不快だ。人間の認知は、曖昧さを閉じることで安心する構造を持つ。ゲシュタルト心理学の「閉合(closure)」がその代表例だ。

白黒思考は、この不快を早期に解消するための認知的なショートカットだ。速く、安く、目の前のストレスを消せる。しかしその代わりに、判断の精度を犠牲にする。特に、規制の目的が「何かを守ること」にある場合、そのショートカットは守るべき対象を見えなくさせる。

「迷ったらNG」が積み上がるとき

その審査員が「迷ったらNG」を繰り返すうちに、ある変化が起きていた。マーケティング部門からの相談が、事前段階ではなく、完成品の提出段階になってきた。「どうせ相談しても止められるから、完成形で出して差し戻しをもらい、そこから修正する方が早い」という暗黙の学習が、相手側に生まれていたのだ。

審査の本来の機能は、情報提供の質を上げることにある。早期に相談を受け、より良い表現を一緒に探すことで、医療従事者に届く情報の精度が高まる。しかし差し戻しが繰り返されると、相談のコストが上がり、プロセス全体が守りに入る。規制への萎縮が、規制が本来守ろうとしていた情報提供の質を下げる逆説が、静かに進行していた。

その審査員はこの変化を、まだ自分の判断スタイルと結びつけていなかった。「最近、完成してから持ってくることが多い」という観察はあった。しかしそれが何を意味するか、問いを立てるには至っていなかった。

正義病 ── 全 10 回の地図

  1. 第 1 回: 発症 ──「正しさ」の快感 ── 初めて違反を止め感謝され、正しさが報酬になる
  2. 第 2 回: 近接の罠 ── ルールしか見えなくなる ── 局所に閉じ、文脈(全体)が視界から消える
  3. 第 3 回 (本回): 白か黒か ── グレーの消失 ── 二項対立。グレーが「逃げ」に見え始める
  4. 第 4 回: 増幅 ── 主観が「正義」に育つ ── 自分の正しさが肥大し、指摘が目的化する
  5. 第 5 回: ダメ出し屋 ── 周囲が敵に見える ── 協働相手を加害者扱いし、関係が壊れる
  6. 第 6 回: メタ認知の欠落 ── 自分が見えない ── 中核症状。病んでいる自覚を持てない
  7. 第 7 回: 合併症 ── 過剰指摘という害 ── 過剰指摘の害。萎縮と形骸化、全体最適の喪失
  8. 第 8 回: 転機 ── グレーを見た日 ── 白黒で裁けない事例に出会い、確信が揺らぐ
  9. 第 9 回: 寛解 ── 文脈を取り戻す ── 近接から俯瞰へ。何を守るルールかを問い直す
  10. 第 10 回 (最終回): 共生 ── 正義病と生きる ── 完治はない。気づき続けられるかが職業人生を分ける
結語

白黒思考の恐ろしさは、それが「厳密さ」の外見をまとうことにある。グレーを排除する判断は、一見すると高い基準を保持しているように見える。しかし実際には、情報の一部を見捨てることで判断の負荷を下げているだけだ。その審査員は第3回を終えた時点で、自分の思考が縮んでいることに気づいていない。それが正義病の核心だ。病んでいる間は、自分が病んでいるとわからない。

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で中庸(mesotēs)を論じた。徳は極端の間にある、という話だ。これは「どちらでもいい」という意味ではない。文脈を読み、過剰でも過少でもない判断を選ぶ能力の話だ。グレーを見ることは、判断の放棄ではない。より多くの情報を処理することへの意志だ。その技術は、白黒の快適さに慣れた思考には、なかなか身につかない。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 全か無か思考は不快を素早く解消するための認知的ショートカットだ。しかし速さと引き換えに、判断の精度を落とす。
  2. 「迷ったらNG」が繰り返されると、相手は事前相談を止める。審査の本来の機能が静かに失われていく。
  3. グレーを保持することは判断の放棄ではない。文脈、意図、影響のバランスを読む技術であり、それには不確かさに耐える訓練が要る。
出典・参考文献
  1. Beck, A. T. Cognitive Therapy and the Emotional Disorders. International Universities Press, 1976. (認知療法の基礎文献。全か無か思考を含む認知の歪みを体系化した出発点)
  2. Burns, D. D. Feeling Good: The New Mood Therapy. William Morrow, 1980. (白黒思考を含む10種の認知の歪みを臨床例で解説。Beck 理論の一般向け展開)
  3. Kernberg, O. F. Borderline Conditions and Pathological Narcissism. Jason Aronson, 1975. (スプリッティングの精神分析的理解。Klein の概念を成人病理の記述に援用した主著)
  4. Keats, J. Letter to George and Tom Keats, December 21–27, 1817. In The Letters of John Keats. (「負の能力」を論じた私信。不確かさに耐える知性の概念として後世に影響)
  5. Aristotle. Nicomachean Ethics. Trans. T. Irwin. Hackett, 1999. (中庸の概念。極端と極端の間に徳を見る倫理学の基本文献)