販売情報提供活動ガイドライン(2019年施行)以降の7年間で、医療機関モニターが捕捉した疑義事例は延べ186件にのぼる。エビデンスのない説明、データの恣意的加工、安全性情報の省略——この上位3カテゴリだけで全体の約6割を占める。序章では年度×カテゴリの件数表で全体像を整理し、9カテゴリへの地図を示したうえで、「なぜ普通の作り手が逸脱するか」を4つの深層心理から読み解く。
So what / So why ── このシリーズの本質
販売情報提供活動ガイドラインは、製薬企業が医療者に提供する情報の内容と方法を規律するために2019年9月に施行された。厚生労働省は施行後毎年度、全国の医療機関に設置したモニターを通じて疑義事例を収集し、「医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業」として報告書を公表している。平成31年度から令和7年度まで7年間の累計は延べ186件にのぼる(平成31:51件、令和2:40件、令和3:18件、令和4:20件、令和5:19件、令和6:23件、令和7:15件)。
この186件が示すのは「一部の悪質な業者」の話ではない。事例の大半は通常の製品説明会や資材、日常のMR面談で発生している。「良い薬を正しく使ってもらいたい」と思っている担当者が、気づかないまま逸脱に加担している——それがこのシリーズ全体を貫く問題意識だ。
医療者は処方判断の根拠として製薬企業からの情報を参照する。そこに事実を歪めた情報が混入すれば、エビデンスのある治療が選ばれず、副作用リスクが適切に伝わらない。個別の事例では被害が見えにくいが、系統的な情報の歪みは集団レベルの医療被害を引き起こしうる。だからこそガイドラインと監視事業が存在し、事例が公表される。
年度×カテゴリ 件数マトリクス
報告書は各年度の疑義事例を最大8カテゴリに分類して掲載している。年度によって分類名のラベルが微修正されているため、下表では内容に基づいて統一表記に整理した。令和5年度の3件は「エビデンスなし」と「他社誹謗」の両方に該当するものとして計上されており、延べ件数と実件数にずれが生じる(延べ19件・実16件)。
| 年度 | ①未承認・ 適応外 | ②データ・ グラフ操作 | ③エビデンス なし | ④誇大表現・ 事実誤認 | ⑤他社 誹謗 | ⑥安全性 軽視 | ⑦利益相反 不開示 | ⑧その他 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 平成31 (2019) | 8 | 14 | 14 | 7 | 1 | 5 | 2 | 0 | 51 |
| 令和2 (2020) | 11 | 2 | 11 | 4 | 3 | 6 | 1 | 2 | 40 |
| 令和3 (2021) | 3 | 1 | 5 | 2 | 1 | 4 | 1 | 1 | 18 |
| 令和4 (2022) | 1 | 2 | 10 | 1 | 3 | 3 | 0 | 0 | 20 |
| 令和5 (2023) | 1 | 1 | 9 | 1 | 3 | 3 | 0 | 1 | 19※ |
| 令和6 (2024) | 1 | 3 | 9 | 2 | 4 | 4 | 0 | 0 | 23 |
| 令和7 (2025) | 1 | 0 | 2 | 3 | 4 | 2 | 0 | 3 | 15 |
| 累計 | 26 | 23 | 60 | 20 | 19 | 27 | 4 | 7 | 186 |
※令和5年度は3件が「③エビデンスなし」と「⑤他社誹謗」の両カテゴリに重複計上。累計186件は延べ件数。
カテゴリ別累計では③エビデンスなし(60件・32%)が最多で、⑥安全性軽視(27件・15%)、①未承認・適応外(26件・14%)、②データ操作(23件・12%)と続く。この上位4カテゴリだけで全体の7割を占める。⑦利益相反不開示は令和3年度以降ほぼゼロだが、これはCOI開示が業界慣行として浸透した結果と推測される。⑤他社誹謗は令和6〜7年度で計8件と増加傾向にある。
9カテゴリへの地図
各カテゴリの詳細は続く個別章で解説するが、ここで全体像を一望しておく。
①未承認の効能効果・用法用量(26件)
添付文書に記載のない適応症・用法・用量を、口頭や資材で示した事例。「適応外であるが」と断っても推奨すれば該当する。医師からの質問に答える形でも逃げられない。薬機法68条(未承認医薬品の広告禁止)に直接抵触する。
②データ・グラフの恣意的操作(23件)
原著論文のグラフを縦横比調整、副次評価項目のみ提示、不利なデータを削除・不記載にした事例。見た目は「論文引用」だが、引用の選択と加工に恣意性がある。特に多かったのは平成31年度(14件)で、このカテゴリは初期に集中している。
③エビデンスのない説明(60件・最多)
根拠なく他社品に対する優位性を主張、非劣性試験を「優越性あり」と説明、10例未満のデータや査読なし発表を有効性の根拠として使用した事例。「担当者個人の感想」「作用機序からの類推」もこのカテゴリに入る。全体の3分の1を占める最大カテゴリ。
④誇大表現・事実誤認(20件)
「究極の」「優れた」などの誇大語、1施設の診療方針をガイドライン扱いにした説明、製品名の由来をプロモーションに使った事例。適正広告基準の「誇大広告禁止」と薬機法66条に抵触する。令和7年度で3件と増加傾向。
⑤他社製品の誹謗(19件)
後発医薬品・バイオシミラー・競合品にとって不利益な情報を積極的に提供した事例。「科学的に正確な情報でも、目的が誹謗なら該当する」という点が難しい。令和6〜7年度に集中(計8件)しており、昨今の競合市場激化を反映している可能性がある。
⑥安全性軽視・有効性のみ強調(27件)
副作用の説明なく有効性のみを提示、RMP(リスク管理計画書)の重要注意事項を軽視、新薬の処方日数制限に反する使用法を勧奨した事例。「安全性の話は求められなかった」という不作為が典型。
⑦利益相反の不開示(4件)
論文引用スライドに著者のCOI(利益相反)情報を表示しなかった事例。平成31〜令和3年度に集中。その後は業界のCOI開示慣行が定着したためか、ほぼ消滅している。
⑧その他(7件)
不適切な営業手法、企業主催講演会での過度な自社品宣伝、処方日数制限の潜脱誘導など、上記いずれにも分類しにくい事例。令和7年度に3件と増加。ガイドラインの網羅範囲の外縁を示す。
なぜ普通の作り手が逸脱するか──深層心理の4ドライバー
事例を読むと、担当者が「悪意を持って嘘をついた」ケースは少数だ。大半は「このデータを見せれば先生の役に立つ」「競合との違いを正直に説明しただけ」という認識の下で行動している。この認識の歪みを生む4つのメカニズムを理解することが、逸脱防止の出発点になる。
① 動機づけられた推論(motivated reasoning)
「この薬は患者に良い」という結論を先に持ち、それを支持するデータだけを選んで提示する。反する情報は「例外」「特殊な患者群」として解釈し、意識から排除する。データの「恣意的抜粋」(カテゴリ②)と「エビデンスなし」(カテゴリ③)の多くはこのメカニズムで起きている。「悪意」ではなく「確信」が逸脱を生む。
② 局所合理化(local justification)
「このスライド1枚だけ」「この質問に答えただけ」という単位で判断を正当化し、全体が医師に与える印象の歪みに気づかない。適応外の話題に「参考情報として」と断ってから踏み込む(カテゴリ①)のも局所合理化の典型だ。一つひとつのステップは正当に見える、しかし結果は逸脱になる。
③ 不作為の罪(omission bias)
副作用・安全性情報を「聞かれなかったから言わなかった」として自己免責する(カテゴリ⑥)。積極的な情報の捏造とは違い、言わないだけ——という認識が罪悪感を和らげる。しかしガイドラインは有効性と安全性をバランスよく提供することを義務づけており、不作為もまた逸脱だ。
④ 責任の外部化(diffusion of responsibility)
「医師が最終判断する」「上司が承認したスライドだ」「他社も同じことをやっている」——責任を他者に転嫁することで自分の判断から距離を置く。企業主催講演会で演者が過度に自社品を宣伝した事例(カテゴリ⑧)には、「演者が言ったのだから」という製薬側の責任回避が重なることも多い。
この4ドライバーは互いに組み合わさる。「患者のため(動機)」→「このデータだけ(局所合理化)」→「副作用は言わなくていい(不作為)」→「先生が判断する(外部化)」という連鎖が、一件の逸脱を完成させる。続く各章では、この連鎖が9カテゴリのそれぞれでどのように現れるかを、実際の事例に即して解説する。
事例 ── カテゴリ別の代表像
序章では個別事例の全件詳解は行わない。各カテゴリの代表的なパターンを示し、詳細は対応する各章に委ねる。件数は上記マトリクスの数値に基づく。
カテゴリ①:未承認・適応外(累計26件)
媒体:MR口頭説明・Web講演会
代表パターン:注射剤のみに承認された適応を内用薬でも効果があると口頭説明した(令和3年度)。「一般論として」「他院の例として」と断りを入れながら適応外使用を暗示する形式が複数年にわたって確認されている(平成31年度で8件・最多)。
逸脱の核心:承認を受けていない用法・用量・効能効果を示すことは、薬機法68条が禁じる未承認広告に該当する。
カテゴリ②:データ・グラフ操作(累計23件)
媒体:プレゼンスライド・パンフレット・論文引用資材
代表パターン:3群比較試験の結果のうち自社に有利な2群のみをグラフ化(平成31年度)、グラフの縦軸比率を調整して差を視覚的に拡大(同)、副次評価項目の結果のみを詳細に紹介して主要評価項目を掲載しなかった(同)。平成31年度だけで14件と集中している。
逸脱の核心:原著論文の引用という外形を保ちながら、引用の選択と加工によって事実誤認を生む。
カテゴリ③:エビデンスなし(累計60件)
媒体:MR口頭説明・Web製品説明会・メール
代表パターン:アンケート結果のみで安全性に関する他社品優位性を説明(令和2年度)、非劣性試験の結果を「優越性あり」と解釈して説明(平成31年度・複数件)、10例未満のデータで有効性を主張(同)。「担当者個人の見解」「作用機序からの推測」も複数件含む。
逸脱の核心:科学的根拠のない情報は医師の処方判断を誤らせる。ガイドラインが最も重視する違反類型。
カテゴリ④:誇大表現・事実誤認(累計20件)
媒体:医学専門誌広告・プレゼンスライド・口頭説明
代表パターン:「究極の〜」という表現を根拠なく使用(令和2年度)、1施設の診療方針をガイドラインであるかのように誇張(平成31年度)、糖尿病用量を基準に自社品を「常用量」・他社品を「高用量」と図表化して薬価を説明し、用量の誤解を生んだ(令和5年度)。
逸脱の核心:薬機法66条の誇大広告禁止に抵触。事実に反する表現は処方判断の歪みを生む。
カテゴリ⑤:他社製品の誹謗(累計19件)
媒体:MR口頭説明・Web説明会
代表パターン:後発医薬品・バイオシミラーにとって不利益となる情報を積極提供(平成31年度・令和2年度)、他社製品の海外安全性情報を根拠なく引用して有害性を示唆(複数年度)。令和6〜7年度に計8件と集中しており、競合激化の影響が見られる。
逸脱の核心:競合品を貶めることで自社品を相対的に有利に見せる手法。科学的正確性がある場合でも目的次第で該当する。
カテゴリ⑥:安全性軽視・有効性のみ強調(累計27件)
媒体:MR口頭説明・製品説明会・プロモーション資材
代表パターン:副作用の説明なく有効性のみを強調した情報提供(令和2年度)、高用量使用時の副作用を「一過性」と説明して安全性を軽視(平成31年度)、RMPに記載の重要注意事項を伝えなかった(同)、新薬の処方日数制限に反する使用方法を勧奨(同・複数件)。
逸脱の核心:有効性と安全性のバランスを欠いた情報提供は、医師が適切なリスク評価をできなくする。
カテゴリ⑦:利益相反不開示(累計4件)
媒体:プレゼンスライド・製品紹介動画
代表パターン:引用論文の著者COI情報を説明スライドに表示しなかった(平成31年度2件・令和3年度1件)。特定の演者の意見を科学的エビデンスと同列に扱う効果を生む。令和3年度以降はほぼ消滅しており、業界のCOI開示慣行定着が背景にある。
逸脱の核心:情報の出所と利害関係が不透明では、医療者が情報の信頼性を適切に評価できない。
カテゴリ⑧:その他(累計7件)
媒体:企業主催講演会・MR口頭説明
代表パターン:企業主催講演会にて演者(医師)が主催企業製品を過度に宣伝(令和2年度)、処方日数制限を回避する具体的方法を提示(平成31年度・令和3年度)。令和7年度の3件は複数カテゴリの境界事例を含む。
逸脱の核心:ガイドラインが明示的に禁じていない領域での問題行為。新たな規制・指針整備の必要性を示唆する群。
- エビデンスなし・安全性軽視・未承認/適応外の上位3カテゴリで全体の約6割。 「悪意」ではなく確信と不作為が186件の大半を生んでいる。
- 動機づけられた推論・局所合理化・不作為の罪・責任の外部化という4ドライバーが組み合わさり、「このデータだけ」「聞かれなかった」という一つひとつ小さな判断が逸脱を完成させる。
- ⑤他社誹謗は令和6〜7年度に急増(計8件)。 競合市場の激化とともに、これまで少数だったカテゴリが浮上してくる点に注目が必要。
- 厚生労働省「令和6年度 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書」(2025年、資料番号001272195)
- 厚生労働省「令和7年度 医療用医薬品の販売情報提供活動監視事業 報告書」(2025年、資料番号001520054)
- 厚生労働省「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」(2018年9月25日、医政経発0925第1号・薬生監麻発0925第1号)
- 厚生労働省「医療用医薬品製品情報概要等に関する作成要領」(2020年改訂)
- 日本製薬工業協会「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」に基づく自主基準(2019年)
- 厚生労働省「薬事法における医薬品等の広告の該当性について」(昭和55年10月9日、薬発第1339号、三要件通知)
- 厚生労働省「医薬品等適正広告基準」(平成29年9月29日、薬生発0929第4号)