01AI の産業政策は半導体支援・輸出規制・AI 利用規制の 3 軸で動く

2022 年 8 月、米国は CHIPS and Science Act を成立させ、半導体製造に 527 億ドルの補助金と税額控除を充てた。同年 10 月、商務省産業安全保障局(BIS)は先端半導体の対中輸出規制を発動した。2024 年 8 月には EU AI 法が発効し、高リスク AI に適合性評価を義務づけた。2025 年 5 月には日本が AI 促進法を施行した。

これらの政策はなぜ同時に、しかし異なる方向に動いているのか。各国が直面する問いは共通している。AI の経済的利益をどう取り込み、安全保障上のリスクをどう抑えるか。だが答えは、半導体の製造能力を持つか、AI モデルの開発力があるか、データの規模と越境の自由度がどこまであるかで分かれる。

02米国は補助金と輸出規制を同時に使い、半導体の供給構造を変えようとしている

CHIPS 法の 527 億ドルのうち、390 億ドルは米国内の製造施設建設に充てられる。2024 年末までに主要な補助金が確定した。TSMC のアリゾナ工場に 66 億ドル、Intel に 78.6 億ドル、Samsung に 47 億ドル、Micron に 61.65 億ドル。合計 360 億ドル超が 2025 年 11 月までに確定し、米国内で先端半導体の製造拠点が複数立ち上がる計画だ。

もう一方の軸が輸出規制である。BIS は 2022 年 10 月以降、先端 AI チップと半導体製造装置の対中輸出を段階的に制限してきた。2024 年 12 月には 140 社をエンティティリストに追加し、高帯域メモリ(HBM)と先端パッケージング装置にも規制を拡大した。2025 年 1 月にはバイデン政権が AI 拡散枠組み(AI Diffusion Framework)を公表したが、トランプ政権の BIS は同年 5 月にこれを撤回した。米国の革新を阻害し、同盟国との外交を複雑にするという理由だった。

補助金は供給側を米国内に引き寄せ、輸出規制は需要側から中国を切り離す。2 つの政策は表裏の関係にある。

図 1 米国の半導体政策の 2 軸
補助金表裏の関係制限CHIPS 法527 億ドル国内製造拡大TSMC・Intel・Samsung 等輸出規制中国の計算能力に上限先端チップ遮断補助金表裏の関係制限CHIPS 法527 億ドル国内製造拡大TSMC・Intel・Samsung 等輸出規制中国の計算能力に上限先端チップ遮断
補助金で供給側を国内に引き寄せ、輸出規制で需要側から中国を切り離す。2 つの政策は表裏の関係にある。

03EU は利用規制で先行し、日本は促進法で利用拡大を優先した

EU AI 法は 2024 年 8 月に発効し、AI システムをリスクの高さで 4 段階に分類した。社会信用スコアリングなど「許容できないリスク」の AI は 2025 年 2 月に禁止された。高リスク AI の適合性評価は当初 2026 年 8 月が期限だったが、2026 年 6 月のオムニバス改正で 2027 年 12 月に延期された。違反には最大 3,500 万ユーロまたは全世界売上高の 7% の制裁金が科される。

日本の AI 促進法は対照的だ。2025 年 5 月 28 日に国会で可決され、6 月 4 日に施行された。罰則がない。禁止される AI 利用もない。法の目的は AI の研究開発と利用の促進であり、内閣総理大臣を本部長とする AI 戦略本部が 2025 年 9 月に設置された。2025 年 12 月には AI 基本計画が閣議決定され、「世界で最も AI フレンドリーな国」を目標に掲げた。経済産業省は 2026 年度の AI・半導体関連予算として約 1.23 兆円(約 80 億ドル)を計上した。

EU は規制の精度で信頼を確保しようとし、日本は規制の軽さで投資を呼び込もうとしている。どちらも AI の開発国ではなく利用国としての立場から出発しており、政策の方向が正反対になった。

04中国は輸出規制下で国産チップとデータ管理を同時に進めている

米国の輸出規制に対し、中国は 2 つの軸で対応している。一つは国産 AI チップの量産、もう一つはデータの越境移転規制だ。

Huawei は SMIC の 7nm プロセスで Ascend 910B の量産を進め、2026 年には 7nm の生産能力を倍増させる計画を公表した。米国商務省は Huawei の 2025 年の AI チップ生産量を約 20 万個と見積もったが、Huawei 自身は 60 万個を目標としている。歩留まりは業界標準を大きく下回るとされるが、量産体制の構築自体は進んでいる。

データの越境移転については、2024 年 3 月にサイバースペース管理局(CAC)が規制緩和措置を公表し、一般データの越境移転を原則自由とした。ただし、医薬・AI を含む 5 業種のデータはネガティブリストに含まれ、安全評価の対象として残っている。2025 年 9 月には越境処理の国家安全基準が公表され、2026 年 3 月に施行される。

図 2 規制アプローチの対比: EU と日本
EU: 規制の精度で信頼を確…日本: 規制の軽さで投資を…義務化違反時方針予算措置EU AI 法2024 年 8 月発効高リスク AI 適合性評価2027 年 12 月期限違反に制裁金最大 3,500 万ユーロ日本 AI 促進法2025 年 6 月施行罰則なし促進が目的AI 基本計画予算 1.23 兆円EU: 規制の精度で信頼を確保日本: 規制の軽さで投資を呼び込む義務化違反時方針予算措置EU AI 法2024 年 8 月発効高リスク AI 適合性評価2027 年 12 月期限違反に制裁金最大 3,500 万ユーロ日本 AI 促進法2025 年 6 月施行罰則なし促進が目的AI 基本計画予算 1.23 兆円
EU は規制の精度で信頼を確保し、日本は規制の軽さで投資を呼び込む。どちらも AI の利用国としての立場から出発している。
国・地域半導体政策AI 利用規制データ越境
米国CHIPS 法 527 億ドル(製造補助金 390 億ドル)連邦レベルの包括法なし。輸出規制で間接的に制御セクター別規制。包括的なデータ移転法なし
EU欧州チップ法 430 億ユーロ(官民合計目標)AI 法(2024 年 8 月発効)。高リスク AI に適合性評価。違反に最大 3,500 万ユーロGDPR の十分性認定と標準契約条項(SCC)
日本2026 年度 AI・半導体予算 1.23 兆円AI 促進法(2025 年 6 月施行)。罰則なし。促進が目的APPI の越境移転規制。同意または基準適合国
中国国産チップ量産(Huawei Ascend, SMIC 7nm)生成 AI 管理弁法(2023 年 8 月施行)。アルゴリズム登録制ネガティブリスト方式。医薬・AI は安全評価の対象

05製薬産業のサプライチェーンは 3 つの政策軸すべての影響を受ける

製薬産業が AI を利用する場面は、創薬の標的探索、臨床試験の設計と解析、製造工程の最適化、市販後の安全性監視に広がっている。これらの工程は複数の国にまたがるため、半導体支援・輸出規制・AI 利用規制のすべてが直接の制約になる。

半導体支援は計算資源の地理的な配置に影響する。CHIPS 法による米国内の製造拡大は、米国のクラウド事業者が提供する AI 計算基盤の安定性を高める。一方、輸出規制は中国拠点の研究所が利用できる AI チップの性能に上限を設ける。中国に臨床開発拠点を持つ企業は、現地で動かせる AI モデルの規模が制約される。

AI 利用規制は、臨床試験の解析に AI を使う場合の文書化と適合性評価に影響する。EU AI 法のもとで高リスクに分類される医療 AI は、2027 年 12 月までに適合性評価体制を整える必要がある。日本の AI 促進法には同等の義務がないため、日本で開発した AI ツールを EU に持ち込む際に追加の対応が要る。

06データ越境規制は多国間臨床試験の AI 解析を直接に制約する

多国間臨床試験では、各国の治験施設から集めた患者データを一箇所に集約して統計解析を行う。AI を使った解析でも同じ構造が前提になる。だが、データの越境移転規制はこの集約を制約する。

中国のネガティブリストは医薬を含む 5 業種のデータを安全評価の対象にしている。中国の治験施設で取得した患者データを国外の AI モデルに送って解析する場合、CAC の安全評価を通す必要がある。GDPR のもとでは、EU 域外への個人データ移転に十分性認定か標準契約条項(SCC)が求められる。日本の APPI は、移転先が日本と同等の保護水準を持つ国であるか、本人の同意を得ているかを条件とする。

これらの規制が重なると、「すべてのデータを 1 つのクラウドに集めて 1 つの AI モデルで解析する」という最も効率的な方法が使えなくなる。連合学習(federated learning)は、データを各国に置いたままモデルの学習を分散する手法として注目されているが、規制当局が連合学習による解析を治験の統計解析として認めるかは、まだ確立していない。

図 3 データ越境規制が多国間臨床試験の AI 解析に及ぼす影響
制約制約制約多国間臨床試験データ各国の治験施設中国: 安全評価医薬はネガティブリストEU: SCC or 十分性認定日本: APPI 移転条件同等保護水準集約解析が困難連合学習が代替候補多国間臨床試験データ各国の治験施設中国: 安全評価医薬はネガティブリストEU: SCC or 十分性認定日本: APPI 移転条件同等保護水準集約解析が困難連合学習が代替候補
各国のデータ越境規制が重なると、1 つのクラウドにデータを集約して解析する方法が使えなくなる。連合学習が代替候補だが、規制当局の承認はまだ確立していない。

07製薬企業は計算資源の分散とデータ移転条件の事前確保で対応する

3 つの政策軸がそれぞれ異なる方向に動くなか、製薬企業が取れる対応は 3 つある。

第一に、計算資源を複数の地域に分散する。米国・EU・アジアのクラウド環境にそれぞれ AI ワークロードを配置し、特定の地域の政策変更が全体の研究開発を止めないようにする。CHIPS 法による米国内の半導体製造拡大は、米国拠点の計算環境の安定性を高める要素になる。

第二に、データの越境移転条件を契約段階で確保する。中国での臨床試験データ、EU での患者データ、日本での安全性データについて、それぞれの越境規制に対応した移転条件をあらかじめ整備する。後から規制が厳しくなった場合に備え、連合学習やデータの匿名化による代替手段も技術的に準備しておく。

第三に、AI モデルの選定と評価を自社で行う体制を持つ。各国の AI 規制が異なる以上、ある国で使える AI ツールが別の国ではそのまま使えない場合がある。モデルの性能・規制適合性・移行容易性を自社で評価できれば、政策変更への対応速度が上がる。

01

計算資源の地理的分散

配置する

米国・EU・アジアの複数クラウドに AI ワークロードを分け、単一地域の政策変更リスクを軽減する。

02

データ移転条件の事前整備

契約で確保する

中国の安全評価、EU の SCC、日本の APPI 対応を臨床試験の設計段階で組み込む。

03

AI モデルの自社評価体制

内製する

モデルの性能・規制適合性・移行容易性を自社で評価し、政策変更に即応する。

04

連合学習の技術準備

代替手段を持つ

データ越境が制約される場合に備え、分散学習の技術と規制当局への説明資料を準備する。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. AI の産業政策は半導体支援(米 CHIPS 法 527 億ドル、日本 1.23 兆円)、輸出規制(BIS の対中規制)、AI 利用規制(EU AI 法、日本 AI 促進法)の 3 軸で動いており、各国の優先順位は産業構造と安全保障の判断で異なる。
  2. 製薬産業のサプライチェーンは 3 軸すべての影響を受ける。輸出規制は中国拠点の計算能力を制約し、AI 利用規制は臨床解析の文書化を左右し、データ越境規制は多国間臨床試験の AI 解析の設計を直接に制約する。
  3. 対応の核は、計算資源の地理的分散、データ移転条件の契約段階での確保、AI モデルの自社評価体制の 3 つだ。政策は変わる。変化に対応できる構造を先に作ることが、特定の政策に賭けることより重要になる。
結語

半導体支援、輸出規制、AI 利用規制。この 3 つの政策軸は、それぞれ異なる目的で、異なる速度で動いている。米国は CHIPS 法と輸出規制で供給構造を変えようとし、EU は規制の精度で信頼を確保し、日本は規制の軽さで投資を呼び込み、中国は規制下で国産化を進めている。製薬産業にとっての実務上の問いは、どの国の政策が正しいかではなく、どの政策が変わっても研究開発が止まらない体制をどう作るかだ。計算資源の分散、データ移転条件の事前確保、モデル評価の内製化。この 3 つが、政策の不確実性のなかで選択肢を残すための条件になる。

出典·参考文献
  1. U.S. Congress. CHIPS and Science Act. Public Law 117-167, 2022. https://www.congress.gov/bill/117th-congress/house-bill/4346
  2. BIS, U.S. Department of Commerce. Department of Commerce Announces Rescission of Biden-Era Artificial Intelligence Diffusion Rule. BIS Press Release, 2025. https://www.bis.gov/press-release/department-commerce-announces-rescission-biden-era-artificial-intelligence-diffusion-rule-strengthens
  3. European Council. Artificial Intelligence: Council gives final green light to simplify and streamline rules. Consilium Press Release, 2026. https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2026/06/29/artificial-intelligence-council-gives-final-green-light-to-simplify-and-streamline-rules/
  4. White & Case LLP. Japan's first AI legislation becomes law. White & Case Insight Alert, 2025. https://www.whitecase.com/insight-alert/japans-first-ai-legislation-becomes-law-focus-promoting-research-and-development-no
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  6. MERICS. China's drive toward self-reliance in artificial intelligence: from chips to large language models. MERICS Report, 2025. https://merics.org/en/report/chinas-drive-toward-self-reliance-artificial-intelligence-chips-large-language-models
  7. Manufacturing Dive. Tracking CHIPS and Science Act awards. Manufacturing Dive, 2025. https://www.manufacturingdive.com/news/chips-and-science-act-tracker-semiconductor-manufacturing/734039/
  8. Future of Privacy Forum. Understanding Japan's AI Promotion Act: An "Innovation-First" Blueprint for AI Regulation. FPF Blog, 2025. https://fpf.org/blog/understanding-japans-ai-promotion-act-an-innovation-first-blueprint-for-ai-regulation/
  9. CSIS. Understanding U.S. Allies' Current Legal Authority to Implement AI and Semiconductor Export Controls. CSIS Analysis, 2025. https://www.csis.org/analysis/understanding-us-allies-current-legal-authority-implement-ai-and-semiconductor-export-controls