資材審査員として「正義病」を経験し、寛解に至ったとき、ひとつの問いが残った。何を守るためのルールか。その問いは、経営の座に就いてから別の重さを持って戻ってきた。今度は規則を読む側ではなく、規則を作り、支え、組織に根づかせる側として。局所的な視点から全体最適を見失う病は、個人だけでなく組織にも宿る。グレー認識を個人の徳目に留めず、仕組みとして埋め込むことが、この回の問いになる。

ルールを作る側になった日

部門長になって最初に頼まれた仕事は、社内資材審査の手順書を改訂することだった。前任者が作ったフローチャートは精緻だった。どの文言が引っかかるか、どの表現が規制上グレーか、何色のフラグを立てるか。審査員の目線で細部まで書き込まれている。

しかし読み進めながら、ある違和感が積み重なった。このフローチャートは「止めるための手順」として書かれている。判断の根拠は逐一、規制文書の条文番号に紐づけられていた。判断に迷ったら上位条文を参照せよ、と注記されている。では、上位条文が想定していなかった新しい表現形態が出てきたとき、現場はどう判断するのか。フローチャートはそこで止まっていた。

かつての自分がそうだったように、現場の審査員が条文という近接的な物差ししか持てないとき、「規則が書いていないから通せない」という判断が生まれる。規則に書いていないことを通せない組織は、規則に書いていないことを提案できない組織にもなる。ルールの空白地帯で止まる文化は、情報提供の機会を静かに失っていく。

規則の背後に何があるか ── 目的論的解釈の作法

法哲学者ロン・フラーは、法の内なる道徳として八つの条件を挙げた。その中で自分がいつも引っかかるのは、規則は「理解可能でなければならない」という条件だ。理解可能とは文字が読めることではない。なぜこの規則があるのか、どういう害を防ぐために存在するのかが分かる、ということだ。

目的論的解釈という考え方がある。規則の文言が曖昧なとき、その規則が守ろうとしている目的に立ち返って解釈する方法だ。法律家だけの技術ではない。企業の規程でも、社内ガイドラインでも同じことが問われる。「この資材審査ガイドラインが存在する目的は何か」を問えば、答えは一つではないが、核にあるものは見える。患者が製品について正確な情報を得られること。誇大な期待を持たせないこと。そして製薬企業が社会の信頼を保てること。

手順書の改訂にあたって、自分はその目的を一枚の紙に書いて冒頭に置いた。フラーの言葉を借りれば、ルールは「目的への地図」であって、地図それ自体が目的ではない。地図の更新が遅れたとき、目的を読める人間が現場にいるかどうかが、組織の知性を決める。

法の支配が崩れるのは、悪意ある権力者が規則を捻じ曲げるときだけではない。規則の目的を誰も覚えていない状態でも、静かに崩れていく。 ── Lon Fuller, The Morality of Law, 1964(意訳)

コンプライアンス文化 vs 価値文化 ── 二つの組織の姿

組織の規範文化には、大きく二つの類型がある。どちらが正しいかではなく、どちらに傾いているかが、日常の判断の質を決める。

観点コンプライアンス文化価値文化
判断の基準規則の文言に照らす規則の目的に照らす
グレーな事例への反応「規則に書いていない」で止める「目的に照らして何が正しいか」を問う
例外の扱い上位者に差し戻す・先送り事例として記録し、規則の改訂につなげる
現場の動き指摘されない限り動かない気になれば上に問いを持ち込む
失敗の学び方規則を追加するなぜ規則が機能しなかったかを問う
正義病との関係条文への近接化が病を助長しやすい目的への照準がメタ認知の補助線になる

コンプライアンス文化を否定したいわけではない。規制産業では文言の遵守が法的責任の前提になる場面が多い。問題は、文言遵守を徹底するあまり、目的への問いが組織から消えていくことだ。ルールが増えるたびに思考が委縮し、グレーな判断が上位者に集中し、現場の知性が退化する。Russell Ackoff がシステム思考で繰り返し指摘したように、部分を最適化するほど全体が機能不全に陥ることがある。コンプライアンスを局所最適化することで、情報提供という全体目的が損なわれる逆説がここにある。

グレーを持ち込める空気 ── 心理的安全性の設計

価値文化を作るには、現場の人間がグレーな事例を「困っています」と言えることが前提になる。しかしこれが難しい。Amy Edmondson が心理的安全性の研究で繰り返し示したことは、安全に失敗や懸念を言えるチームは医療事故の「報告件数が多い」という事実だった。隠すチームではなく、語れるチームが安全な組織になる。

資材審査の現場に置き換えると、意味は変わらない。「この資材の表現、自分には判断できないんですが」と言える審査員がいるチームと、判断できなくても「とりあえず差し戻す」という行動で済ませてしまうチームとでは、学習の速度が違う。

グレーを報告した人を責めない

「なぜそれを持ってきたのか」ではなく「持ってきてくれてよかった」という反応を繰り返すことで、現場の閾値が下がる。管理職の初動が文化を作る。

事例を資産にする仕組みを作る

判断が難しかった事例を匿名で記録し、月次で共有する。正解を共有するのではなく、問いの立て方を共有する。これが審査員のメタ認知能力を底上げする。

例外処理のプロセスを明文化する

「規則に書いていないケース」の処理ルートを作る。現場が動けるように、かつ記録が残るように設計する。例外を封じるのではなく、例外を学びに変える仕組みがいる。

Edmondson が強調するのは、心理的安全性は「居心地の良い職場」を作ることではないという点だ。高い基準を維持したまま、懸念を言える空気を作ること。緩さではなく、真剣に悩める環境を設計することだ。

文化は「例外の扱い」で測られる

どんな組織も、掲げている価値と実際の行動の間にズレがある。そのズレが最も露わになるのは、例外が起きたときだ。想定外のケース、規則の隙間に落ちた事案、正解のない判断を迫られる局面。そこで組織がどう動くかが、文化の本質を映す。

Max Bazerman と Ann Tenbrunsel が『倫理の死角』で描いたのは、人間が倫理的でありたいと思いながら、システムの設計によって非倫理的な行動に誘導されてしまう構造だった。組織の文化も同様だ。「何かあったら報告せよ」という文言が手順書にあっても、報告した人間が責められる慣行があれば、誰も報告しない。書かれているルールではなく、実際に何が起きるかという経験が、文化を定義する。

手順書の改訂から半年後、ある中堅の審査員が曖昧な表現を含む資材について「止めるか通すか決めかねている」と持ち込んできた。かつての自分なら、その審査員の判断力を疑ったかもしれない。しかし今は、その行動が文化の証だと思える。迷いを言葉にできるのは、迷えているということだ。自分がかつてできなかったことを、この審査員はできている。

かつての審査員が今の仕組みに触れるとき

正義病の寛解期に自分が学んだのは、「何を守るためのルールか」という問いを持ち続けることだった。違反を止める快感ではなく、情報が正確に患者に届くという目的への照準。その問いが、局所的な視点から自分を引き戻す補助線になった。

経営者になって初めて分かったのは、その問いは個人の内面に留めておくだけでは足りないということだ。問いを持っている個人が組織に一人いても、仕組みがなければその問いは引き継がれない。規則が改訂されるたびに目的が薄まり、新しく入った審査員は文言だけを渡される。やがて誰もが条文を守っているが、何のための条文かを語れる人間がいない組織になる。

Ronald Heifetz が適応的リーダーシップで語るのは、技術的な問題と適応的な問題の違いだ。技術的な問題は既存の手順で解ける。適応的な問題は、組織の構成員が自分たちの考え方や価値観そのものを変えることで初めて解ける。「グレーを見る目」を組織に埋め込むことは後者だ。手順書を書くだけでは解けない。目的を問い続ける文化を設計すること。それが、経営者版の正義病対策だと、今は理解している。

守るものは変わらない ── 問いを引き継ぐ

製薬企業が資材審査に多くのリソースを費やすのは、最終的には患者への情報の質を守るためだ。その目的は、審査員だった頃も、部門長になった今も、変わっていない。変わったのは、その目的を実現するための構造的な責任を、今の自分が持っているということだ。

Peter Senge がシステム思考で繰り返し指摘したように、問題の多くは複雑な因果ループの中に埋め込まれている。審査員が条文にしがみつく構造は、その審査員の個人的な欠陥ではなく、条文以外の判断基準を持てないように設計された仕組みの産物かもしれない。仕組みを変えずに個人に働きかけても、構造は人を引き戻す。

最も重要なことは、現在の現実を明確に見ることだ。そこから逃げるのではなく、そこにある構造を変えることを選ぶ。 ── Peter Senge, The Fifth Discipline, 1990(意訳)

手順書の改訂を終えたとき、自分は冒頭の一文にこう書いた。「このガイドラインの目的は、患者が医薬品について正確で有益な情報を受け取れる環境を守ることです。条文はその手段です」。誰もが読む場所に、目的を置いた。それが設計として正しいかどうかは、これから問われる。しかし少なくとも、問いが消えないようにはした。

正義病 II ── 全 10 回の地図

  1. 第 1 回: 昇進 ── 裁く側から、背負う側へ ── 裁く側から、全体を背負う側へ。見えなかった「全体」に自分がなる
  2. 第 2 回: 全体最適という重荷 ──「止める」では済まない ── 「止める」では済まない。局所最適の習慣が全体責任と衝突する
  3. 第 3 回: 数字の論理 ── P&L という新しい言語 ── P&L という新しい言語。善意と受託者責任のずれを上から見る
  4. 第 4 回: トレードオフの孤独 ── 白黒で裁けない決断 ── 経営判断はすべてグレー。正解なき選択の孤独
  5. 第 5 回: 部下の正義病 ── かつての自分を見る ── 白黒思考に囚われた部下に、かつての自分を見る
  6. 第 6 回: 新しい正義病 ── 経営の正論という罠 ── 「効率」「株主のため」という別の白黒。衣を替えた正義病
  7. 第 7 回: 権力とメタ認知 ── 誰も止めてくれない ── 経営者には指摘者がいない。権力が自己監視を蝕む
  8. 第 8 回 (本回): 守るべきものは何か ── ルールの背後の目的、再び ── ルールを支える側として、守るべきものを問い直す
  9. 第 9 回: 架橋する ── 審査と経営の通訳になる ── 審査の規律と全体最適を翻訳し、両者を架橋する
  10. 第 10 回 (最終回): 経営者の日々是好日 ── 完治なき自己監視 ── 権力の座にも正義病はある。気づき続けられるかが組織の運命を分ける
結語

審査員として「正義病」を経験したとき、自分が学んだ最大の教訓は目的への照準だった。規則の文言ではなく、その規則が守ろうとしているものへ。経営者になって、その問いは組織設計の問いになった。個人がグレーを見る目を持つことと、組織がグレーを語れる仕組みを持つことは、別の課題だ。前者は寛解の成果だが、後者は経営者としての仕事だ。

コンプライアンス文化と価値文化の差は、「何を基準に判断するか」だけでなく、「誰が考えるか」という問いの広がり方にある。条文に従う組織では、条文の解釈者だけが考える。目的を問う組織では、現場の審査員も考える。その差が、時間とともに組織の判断能力の厚さになって現れる。

守るべきものは変わらない。患者への情報の質、社会との信頼、そして医薬品が持つ本来の力を正しく届けること。その目的を個人の記憶ではなく仕組みとして引き継ぐ。それが、今の自分が担うべき一つの仕事だと理解している。正義病は完治しない。しかしその問いを組織に埋め込むことで、病が広がる地盤を変えることはできる。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 規則は目的への地図であって、地図が目的ではない。手順書の冒頭に「何のための規則か」を書くことが、組織のメタ認知の起点になる。
  2. 文化の本質は例外の扱いで測られる。グレーな事例を持ち込んだ人間がどう扱われるかが、次の報告があるかどうかを決める。
  3. 個人がグレーを見る目を持つことと、組織がグレーを語れる仕組みを持つことは別の課題だ。経営者の役割は後者の設計にある。
出典・参考文献
  1. Fuller, Lon L. The Morality of Law. Yale University Press, 1964. (規則の内なる道徳――目的論的解釈の哲学的基礎)
  2. Edmondson, Amy C. The Fearless Organization. Wiley, 2018. (心理的安全性の実証研究――高基準を保ちながら懸念を語れる環境の設計)
  3. Bazerman, Max H. & Tenbrunsel, Ann E. Blind Spots: Why We Fail to Do What's Right and What to Do about It. Princeton University Press, 2011. (倫理の死角――システム設計が非倫理的行動を誘導する構造)
  4. Senge, Peter M. The Fifth Discipline: The Art and Practice of the Learning Organization. Doubleday, 1990. (システム思考――構造が個人の行動を決める逆説)
  5. Heifetz, Ronald A. Leadership Without Easy Answers. Harvard University Press, 1994. (適応的リーダーシップ――技術的問題と適応的問題の区別)
  6. Ackoff, Russell L. Redesigning the Future. Wiley, 1974. (システム思考の先駆――局所最適化が全体を損なうメカニズム)