経営者になって最初の四半期、その人物は数字が人を動かす論理を初めて「作る側」として体験した。資材審査員だったころ、「患者さんのため」という言葉は自明の公理だった。規制を守ること、誇大な表現を止めること、それはすべて患者を守るためだという確信に支えられていた。ところが損益計算書と向き合う立場になると、同じ「患者さんのため」が、数字の圧力と奇妙な形で絡み合いはじめた。正しさの言語が変わると、見える景色も変わる。この回では、P&L という新しい言語が経営者にとって何を可視化し、何を見えなくするかを追う。
最初の予算会議
部門長に就いて三週目の朝、その人物は経営会議室の長テーブルに座っていた。スライドには四半期の損益サマリーが映し出されている。売上、原価、販管費、営業利益。数字が縦に並ぶ。隣の事業部長が「今期は厳しい、どこで取り返すか」と言った。
かつて審査員として見ていた資材のひとつひとつが、あの表の「販管費」という行の中に溶けていることを、その人物はぼんやりと意識した。患者への情報提供のコストも、適正使用推進のプログラムも、数字の上ではすべて「費用」だ。それ自体は会計の事実に過ぎない。しかし会議室の空気は、費用を削ることが当然の答えであるかのように進んでいた。
その人物は一度だけ「適正使用の活動は患者アウトカムに直結します」と言った。会議は一瞬静止し、すぐに次のスライドへ進んだ。反論はなかった。だが採択もされなかった。数字に接続されていない発言は、この場所では「存在しない」のと同じだった。
P&L の文法を学ぶ
その人物は週末に財務の入門書を引っ張り出した。損益計算書(P&L)は企業活動を一定期間の収益と費用に分解したものだ。売上高から売上原価を引いた粗利、そこから販管費と研究開発費を差し引いた営業利益、さらに財務損益を加減した経常利益。この順番は、活動が企業価値にどう貢献するかを示す物語の構造でもある。
問題は、この物語が持つ省略にある。P&L は企業が直接支払わないコストを計上しない。環境への負荷、規制対応の社会的コスト、患者が被る副作用の不確実性。これらは「外部性(externality)」として経済学の言葉では存在するが、会計の行には現れない。Russell Ackoff がシステム思考の文脈で繰り返し指摘したように、測定できるものだけを最適化すると、測定されないものが劣化する。
その人物はこの構造を知識としては持っていた。しかし知識として知っていることと、毎月の会議でその圧力の中に自分が座っていることは、まったく異なる体験だった。
「患者さんのため」を上から見る
かつて審査員として医療情報担当者(MR)の資材を審査していたとき、「患者さんのため」は意思決定の最後の砦だった。表現が誇大でないか、承認外の情報が紛れていないか。それを確認することが、医薬品企業としての倫理の履行だった。
今、その人物は同じ言葉を、部門の目標設定の文書に書いている。「本部門は患者さんの治療成績向上に貢献することを使命とし、適正使用の推進を通じて市場における企業価値を高める」。使命と収益成長が並列に置かれている。この文を書きながら、どこかで違和感が走った。
使命と収益は本来矛盾しない、という考え方がある。患者に本当に良い薬が届けば、長期的な市場信頼が生まれ、収益にもつながる。しかし「長期的に」という時間軸が、四半期ごとの損益評価と噛み合わないときに何が起きるか。その審査員だったころには見えなかった問いが、経営者になったいま、眼前に立ちはだかっていた。
P&L が生む三つの見え方の歪み
時間軸の圧縮
四半期 P&L は三か月という窓で収益を切り取る。患者への情報提供が医療行動を変え、アウトカムに現れるまでに数年かかることが多い。この時差を P&L は組み込まない。短い窓で測ると、長期的に効く活動は「コストだけかかる」に見える。
外部性の不可視化
規制対応の手を抜いたときのリスク(行政処分、訴訟、信頼の喪失)は、事故が起きるまで P&L に現れない。逆に言えば、規制を丁寧に守る活動は「費用」としてだけ計上される。安全コストが可視化されず、リスク回避コストが不可視のまま比較されると、判断は歪む。
目的の置き換え
Bazerman と Tenbrunsel が「ethical fading(倫理の退色)」と呼んだ現象がある。意思決定の枠組みがビジネス問題として定式化されると、倫理的な次元が徐々に背景に退いていく。「これは規制上どうか」という問いが、「これは利益上どうか」という問いに静かに置き換えられる。
受託者責任と善意のずれ
企業経営者には法的な意味での受託者責任(fiduciary duty)がある。株主から預かった資本を誠実に運用するという義務だ。Milton Friedman が1970年に「企業の社会的責任は利益を増やすことだ」と書いて以来、この受託者責任は株主利益の最大化と同義のように語られてきた。
しかし法学者 Lynn Stout は著書でこの解釈を根底から問い直した。株主価値最大化は法的義務ではなく、一つのイデオロギーだという指摘だ。経営者は法律上、株主だけでなく会社そのものへの義務を負っている。会社が長期的に存続するためには、患者・医療従事者・社会との関係が持続可能でなければならない。
その人物が感じた違和感の正体はここにあった。「患者さんのため」は善意ではなく、企業が長期的に機能するための条件だ。善意とビジネスの利害が一致しているのではなく、善意の維持がビジネスの条件になっている。しかし四半期の P&L は、その構造的な依存関係を見せてくれない。
かつて自分は、審査の場で「規則に書いてあるから」と言い続けた。今は「数字に出るから」と言いそうになっている。どちらも、何かを省略している。 ── その人物が部門長就任後の日誌に書いた一節。
善意と構造 ── 比べてみる
| 観点 | 「患者のため」を善意として扱う | 「患者のため」を構造として扱う |
|---|---|---|
| 動機の出どころ | 個人の倫理観・職業的使命感 | 長期的な事業持続性の条件 |
| 数字との関係 | 数字と対立しがちで、摩擦が生じる | 数字の時間軸を正しく設計すれば整合する |
| 脆弱性 | 意思決定者が変わると消える | 仕組みに組み込まれていれば残る |
| 失敗パターン | 善意が薄れると行動が変わる | 仕組みが間違えば善意ある人も誤る |
| リーダーへの示唆 | 「なぜ大切か」を語ること | 「どう測るか」を設計すること |
善意と構造のどちらが正しいかではない。善意は出発点であり、構造はそれを持続させる入れ物だ。経営者の仕事は、善意を持った個人への依存を減らし、善意が自然と実現できる構造を設計することだと、その人物はこの時期に理解しはじめた。ただしその理解は、まだ観念の域を出ていなかった。
数字を読む目と、数字に読まれる目
Michael Jensen と William Meckling が1976年に発表した論文は、経営者(エージェント)と株主(プリンシパル)の間に生じる利害のずれ、つまりエージェンシー問題を経済学的に定式化した。経営者は自分の利益(地位の維持、短期的な評価)を優先するため、株主の長期利益と食い違うことがある、という議論だ。
この理論の逆説は、「患者のため」という本来の目的が、エージェンシーの連鎖の中でどこかに落ちやすいことだ。株主は経営者にリターンを求める。経営者は部門長に数字を求める。部門長は現場に行動を求める。連鎖の中で、最初の目的は形式上残っていても、意思決定の実際の重力は数字に引き寄せられている。
かつて資材審査員だったころ、その人物はルールという言語しか持っていなかった。P&L は新しい言語だ。しかしどんな言語も、語れないことがある。経営者として必要なのは、数字を読む能力と同時に、数字が語らないことへの感度だ。
part1 からの連続
かつての正義病では、ルールの条文という局所に閉じて、文脈(全体)が見えなくなった。今は、P&L の数字という別の局所に閉じる誘惑がある。病の症状は変わったが、構造は同じだ。局所に引き寄せられる引力は、言語が変わっても消えない。第2回で触れた「全体最適という重荷」は、この引力に抗い続けることに他ならない。
正義病 II ── 全 10 回の地図
- 第 1 回: 昇進 ── 裁く側から、背負う側へ ── 裁く側から、全体を背負う側へ。見えなかった「全体」に自分がなる
- 第 2 回: 全体最適という重荷 ──「止める」では済まない ── 「止める」では済まない。局所最適の習慣が全体責任と衝突する
- 第 3 回 (本回): 数字の論理 ── P&L という新しい言語 ── P&L という新しい言語。善意と受託者責任のずれを上から見る
- 第 4 回: トレードオフの孤独 ── 白黒で裁けない決断 ── 経営判断はすべてグレー。正解なき選択の孤独
- 第 5 回: 部下の正義病 ── かつての自分を見る ── 白黒思考に囚われた部下に、かつての自分を見る
- 第 6 回: 新しい正義病 ── 経営の正論という罠 ── 「効率」「株主のため」という別の白黒。衣を替えた正義病
- 第 7 回: 権力とメタ認知 ── 誰も止めてくれない ── 経営者には指摘者がいない。権力が自己監視を蝕む
- 第 8 回: 守るべきものは何か ── ルールの背後の目的、再び ── ルールを支える側として、守るべきものを問い直す
- 第 9 回: 架橋する ── 審査と経営の通訳になる ── 審査の規律と全体最適を翻訳し、両者を架橋する
- 第 10 回 (最終回): 経営者の日々是好日 ── 完治なき自己監視 ── 権力の座にも正義病はある。気づき続けられるかが組織の運命を分ける
P&L という言語を習得することと、P&L によって思考を支配されることは別のことだ。経営者がこの差を保ち続けられるかどうかは、数字の外にある問いを捨てないでいられるかにかかっている。「これは数字でどう出るか」と同時に「数字に出ない何が動いているか」を問う習慣が、経営判断に奥行きを与える。
受託者責任とは株主への義務だけではない。その人物はこの期間に、長期的な事業の持続は患者・社会・従業員との関係の質によって支えられているという理解を、抽象ではなく具体の問題として掴みはじめた。善意を構造に変えること。それが経営者としての最初の仕事だという予感を、その人物はこのころ持ちはじめていた。ただし予感は、まだ予感に過ぎなかった。
次の問いはさらに難しい。数字を超えた判断を下すとき、誰がそれを支持するか。経営者は孤立する。トレードオフの孤独が、第4回の主題になる。
- P&L は強力な言語だが、省略がある。時間軸の圧縮・外部性の不可視化・目的の置き換えという三つの歪みに自覚的でないと、数字を読む人間が数字に読まれてしまう。
- 「患者さんのため」を善意として持つことと、構造として設計することは別の仕事だ。経営者の役割は善意ある個人への依存を減らし、善意が自然と実現される仕組みを作ることにある。
- かつてルールという局所言語に閉じたように、今は数字という別の局所言語に閉じる誘惑がある。病の形が変わっても、局所に引き寄せられる構造は同じだ。
- Bazerman, M. H., & Tenbrunsel, A. E. Blind Spots: Why We Fail to Do What's Right and What to Do about It. Princeton University Press, 2011. (ethical fading の概念を提示。意思決定がビジネス問題として枠組まれると倫理的次元が退色することを実証的に示す)
- Jensen, M. C., & Meckling, W. H. "Theory of the Firm: Managerial Behavior, Agency Costs and Ownership Structure." Journal of Financial Economics, 3(4), 1976, pp. 305–360. (エージェンシー理論の原典。経営者と株主の利害ずれを定式化)
- Stout, L. The Shareholder Value Myth: How Putting Shareholders First Harms Investors, Corporations, and the Public. Berrett-Koehler, 2012. (株主価値最大化が法的義務ではなくイデオロギーであることを論じた法学者による批判的分析)
- Ackoff, R. L. Re-Creating the Corporation: A Design of Organizations for the 21st Century. Oxford University Press, 1999. (システム思考の視点から、測定できるものだけを最適化する危険性を繰り返し警告)
- Friedman, M. "The Social Responsibility of Business is to Increase its Profits." The New York Times Magazine, September 13, 1970. (株主利益最大化論の原点となった論説。現代の批判的議論の基点として必読)