私の机には、いつも二種類の後悔が待っている。見逃した後悔と、止めすぎた後悔だ。どちらもゼロにはできない。ここでは、その「できなさ」を正面から見つめてみたい。

01二種類の後悔

金曜の夕方、机の上に二枚の付箋が並んでいる。一枚は先週、私が差し戻した資材のこと。もう一度読み直したら、あの指摘は行き過ぎだった。作成者は正しく書いていたのに、私が慎重すぎて止めてしまった。もう一枚は、通した資材の効能の一文。承認のはんこを押した後で、なぜか小さく引っかかった。あの言い回し、本当に大丈夫だっただろうか。

片方は「止めすぎ」。片方は「見逃しかけ」。この二つは、いつも背中合わせに並ぶ。片方を追いかけると、もう片方がそっと後ろで待ち構える。長く続けても、この並びは消えない。

ここで、私が下手だから二つの後悔が生まれる、と考えるのは間違いだ。腕を上げれば片方が消える、というものではない。審査という仕事には、そもそも二つの別々の力が要る。ひとつは感度(=本当に問題のある資材を「問題あり」と正しく見つけられる割合。見逃さない力)。もうひとつは特異度(=問題のない資材を「問題なし」と正しく通せる割合。行き過ぎて止めない力)。名前を付けてみると、二枚の付箋がすっと整理される。

左の付箋は特異度の失敗だ。問題のないものを止めてしまった。右の付箋は感度の失敗になりかけた。問題があるかもしれないものを、通しかけた。同じ「後悔」でも、住んでいる場所が違う。この二つを一緒くたに「今日はダメだった」とまとめてしまうと、次にどこを直せばいいか分からなくなる。

だから私は、後悔を二つに分けて眺めることにしている。見逃さない力が足りなかったのか、止めすぎない力が足りなかったのか。分けて見れば、責める相手は自分の性格ではなく、目盛りの置き場所だと分かってくる。

02厳しくすれば、通せなくなる

新人の頃、私は単純に信じていた。厳しく見れば良い審査だ、と。疑わしいものは全部止める。実際、そうすると見逃しは減った。危ないものを通してしまう不安は、確かに小さくなった。

ところが、机の脇には差し戻しの山ができた。作成者が資料を抱えてやって来て、「またですか」と肩を落とす。よく読むと、止める必要のなかったものまで混じっている。見逃さない力を上げた分、止めすぎない力が削れていた。片方を強く握ると、もう片方が指のあいだからこぼれる。

逆の月もある。作成者を待たせたくなくて、通しやすく構えた。現場は静かになった。差し戻しの山も消えた。なのに夜、布団の中で目が冴える。あの一文、本当に見過ごしてよかったのか。止めすぎない力を上げたら、今度は見逃さない力が心細くなっていた。

この感覚には、ちゃんとした仕組みがある。審査には、どこで「問題あり」と「問題なし」を分けるかという判定の線(=ここを越えたら止める、という基準の置き場所。カットオフとも呼ぶ)がある。この線を厳しい側へ動かすと、危ないものはよく捕まえられる。そのかわり、無害なものまで網にかかる。線を緩い側へ動かすと、無害なものは楽に通せる。そのかわり、危ないものが網をすり抜ける。

判定の線をどう置くか見逃さない力(感度)止めすぎない力(特異度)
厳しくする(疑わしきは止める)上がる(見逃しは減る)下がる(行き過ぎた差し戻しが増える)
緩める(迷ったら通す)下がる(見逃しが増える)上がる(無用な差し戻しは減る)

これは、私の腕がまだ足りないという話ではない。ひとつのつまみを回すと、片方が上がって片方が下がる。両方を同時に満点にはできない。この兼ね合い(=一方を良くすると他方が悪くなる、避けられない交換のこと。トレードオフと呼ぶ)を、まず正面から認めておきたい。厳しさはただではない。緩さもただではない。どちらにも、裏で払っている代償がある。

新人の私に足りなかったのは、腕ではなく、この一枚の表だった。厳しくすれば良くなる、という一本道を信じていた。本当は、線をどこに置くかで、二つの後悔の大きさが入れ替わるだけだったのだ。

03雑音の中から、本物の合図を聞き分ける

ある朝、審査の机で私は同じ資材を三度読み返していた。ある一文が、ひっかかる。誇大な言い切りに見えるようでもあり、注記を添えれば許される範囲にも見える。白か黒かを決めきれない。その居心地の悪さが、その日ずっと残った。

後になって、これに名前がついていることを知った。信号検出理論(=雑音の中から本物の合図を見分ける仕組みを扱う考え方)。もとは戦後、レーダーで敵機と雑音を見分ける研究から生まれた。暗い画面に小さな光の点が現れる。レーダー手はそれを見て迷う。あれは近づいてくる敵機なのか、それとも風や波が作った、意味のないちらつき(=ノイズ、雑音)なのか。

この点が厄介なのは、敵機のときも、ただの雑音のときも、画面上では似た明るさに見えてしまうところだ。敵機がいるときの明るさのばらつき(=明るさの出方の幅)と、いないときのばらつきが、少しだけ重なり合う。その重なった部分に入った点は、どちらとも決めきれない。心理学者のグリーンとスウェッツ(=信号検出理論を整理した研究者)は、この「重なり」を指摘したうえで、判断の基準(=どこで線を引くか)を感度と切り離して扱えるようにした。難しいのは目の良さではない。重なりがある以上、誰が見ても迷う帯が残る、という事実のほうだ。

資材審査も、これと同じ形をしていた。私が向き合っているのは、白黒はっきりした「正解」ではない。問題ありの資材と、問題なしの資材は、はっきり二つの山に分かれてはくれない。多くは中央で少しだけ重なり合う、灰色の帯の中にある。そこに気づいたとき、長く抱えていた自分への責めが、すこしほどけた。迷うのは、私の力が足りないからではなかった。重なりのある帯を見ているのだから、迷って当たり前だったのだ。

判断がずれる形は、いつも二通りある。本当は問題があるのに見逃してしまう取りこぼしと、本当は問題ないのに引っかけてしまう空振り。レーダー手の言葉を借りれば、片方は敵機の見落とし、もう片方は雑音を敵機と呼ぶ誤報だ。灰色の帯があるかぎり、この二つの間違いを両方ともゼロにはできない。片方を減らそうと身構えるほど、もう片方が増える。

場面本物の合図ただの雑音
レーダー手近づく敵機風や波のちらつき
資材審査直すべき本当の逸脱形は似ているが問題のない表現

だから私は、資材を前にして「これは白か黒か」と自分に問うのをやめた。かわりに、この点は分布のどのあたりにいるのか、と考えるようにした。中央の帯にいる点ほど、ひとりで決めず、根拠を並べ、同僚の目を借りる。迷いを消そうとするのではなく、迷いの正体を見きわめる。それが、雑音の中から本物の合図を聞き分ける、最初の一歩だった。

04線をどこに置くか、という一本の話

あるとき、経験の長い先輩に率直に聞いてみた。「見逃しも空振りも、両方ゼロにする方法はないんですか」。先輩は少し笑って、手元の紙に一本の曲がった線を描いた。左下から立ち上がり、上へ弧を描いてから右へ流れていく線だ。「私たちがやっているのは、この線の上を点が動くだけの話だよ」。

その一本の線には名前がある。ROC曲線(=取りこぼしの少なさと、空振りの少なさの兼ね合いを、一本の線で表したもの)。片方の軸は感度(=本当に問題のある資材を、ちゃんと拾えている割合)。もう片方は特異度(=問題のない資材を、余計に引っかけずに通せている割合)。この二つは、残念ながら仲が悪い。

取りこぼしを減らそうと判定を厳しくすれば、問題のない資材まで引っかかる。空振りを嫌って判定をゆるめれば、今度は本当の逸脱がすり抜ける。感度を上げれば特異度が下がり、特異度を上げれば感度が下がる。曲線の上のどこに自分を置いても、両方が同時に満点になる場所は、この線の外にあって、届かない。

ここで私は、長い勘違いをしていたことに気づいた。審査をめぐって同僚と意見が割れるとき、私はどこかで「どちらが有能か」を競っている気になっていた。でも先輩の線を見て分かった。私たちが本当に争っていたのは能力の高低ではない。同じ一本の線の上で、判定の基準をどこに置くか、という位置の違いだったのだ。厳しめに置く人と、ゆるめに置く人。どちらも線の上にいて、ただ立ち位置が違う。

基準を厳しく置く

本当の逸脱は取りこぼしにくい。かわりに、問題のない資材まで引っかけて、差し戻しが増える。

基準をゆるく置く

余計な差し戻しは減る。その代償に、本当に直すべきものが、音もなくすり抜けていく。

線の外に出たい

両方を満点にしたい願い。気持ちは分かるが、この一点だけは原理として存在しない。

では、線の上のどこに立てばいいのか。その答えは、資材の中には書いていない。患者に届く情報がゆがんだときの重さと、まっとうな情報発信まで止めすぎてしまう損失。この二つを天秤にかけて、初めて決まる。取りこぼしの代償が大きい場面では、空振りを覚悟して基準を厳しい側に寄せる。逆の場面では、少しゆるめる。線を引く場所は、能力ではなく、私たちが何をより恐れるかで決まっていた。

この一本の線を知ってから、会議での言い争いの色が変わった。「あなたは甘い」「あなたは厳しすぎる」という応酬は、たいてい線の位置の話にすぎない。だったら問うべきは、相手の力量ではない。この資材で、私たちはどちらの間違いをより恐れるべきか。そこがそろえば、立ち位置は自然と決まる。両方満点の点を探して消耗するより、線のどこに立つかを一緒に決めるほうが、ずっと前に進んだ。

05見逃しと、行き過ぎ、どちらが重いか

ある朝、机の上に二枚の資材(=医師や患者に配る、薬の説明の紙)が並んでいた。一枚は、承認された効き目より少しだけ広く書いてある。もう一枚は、表現がやや強いだけで、中身は正しい。私はどちらにも赤いふせんを貼れる。でも、貼る意味は同じではない。前者を見逃せば、間違った効き目の話が現場に流れる。後者を止めても、作成者に「もう一度直してください」と頼むだけだ。この非対称、つまり重さのちがいが、私の仕事の芯にある。

審査の判断は、二種類の外し方をする。ひとつは見逃し(=本当は問題なのに、問題なしと通してしまうこと。統計の言葉で偽陰性)。もうひとつは行き過ぎた指摘(=本当は問題ないのに、問題ありと止めてしまうこと。偽陽性)。この二つはシーソーの関係にある。片方を減らそうと線を動かすと、もう片方が増える。どちらも同時にゼロにはできない。だから審査者は、どこに線を置くかを、いつも選んでいる。

では、線を真ん中に置けばいいのか。私はそうは思わない。真ん中というのは、二つの外し方の害が同じ重さのときに正しい置き方だ。ここでは重さがちがう。誤った効き目の一文が医療者や患者に届いてしまう害と、作成者に一度手戻りをお願いする害。前者は取り返しがつきにくく、後者は数時間で直る。害が同じでないなら、線を真ん中に置くのは、むしろ不公平だ。

外し方何が起きるか戻せるか
見逃し(偽陰性)誤った説明が現場に出て、医師や患者の判断に混ざる回収は難しい。届いた後では戻しにくい
行き過ぎた指摘(偽陽性)問題ない資材が一度差し戻される戻せる。作成者が直せば済む

だから私は、線をやや見逃さない側に置く。中立ではなく、少しだけ傾ける。健康診断の考え方に近い。検査は、見落とし(病気を見逃す)よりも、念のため引っかける方に寄せてある。あとで詳しく調べれば済むからだ。取り返しのつく側で多めに拾い、取り返しのつきにくい側を薄くする。この傾け方には理由がある。二つの外し方が同じ重さでない以上、同じ数だけ許してはいけない。

ただ、これは「疑わしきは全部止める」という意味ではない。傾けるのは、あくまでややだ。次の節で書くように、傾けすぎには、別の代償がある。

06止めすぎる人の、静かな代償

傾けすぎた先輩を、一人知っている。その人はほとんど何でも差し戻した。表現が強い、言い切りすぎ、この一行が気になる。理由はいつも正しかった。資材は確かに安全になった。半年のあいだ、その部署から危ない一枚が出たことは一度もない。数字の上では、模範のような審査者だった。

でも半年後、作成者たちは彼の指摘を、右から左に聞き流すようになっていた。「また何か言われる」「どうせ全部直せと言うから、最初から気にしない」。彼の赤ふせんは、注意ではなく背景の色になっていた。そしてある日、本当に大事な一件、効き目の書き方が明らかにおかしい一枚にも、彼はいつもの調子でふせんを貼った。作成者はいつもの調子で、軽く聞き流した。大事な指摘が、彼自身の細かい指摘の山に埋もれてしまったのだ。

狼が来たと叫びすぎた少年の話を思い出す。嘘をついたわけではない。ただ、叫びが多すぎた。だから、本当に狼が来た日、誰も動かなかった。行き過ぎた指摘は、それ自体は無害に見える。止めただけ、直しただけ。でも積み重なると、信頼という目に見えない資産をじわじわ削る。一つひとつの指摘が、次の指摘の重みを下げていく。

正しくても、多すぎれば効かない

個々の指摘が正しいことと、指摘全体が届くことは別。数が増えるほど、一つあたりの重みは下がる。

信頼は、後から効いてくる

作成者が「この人の指摘は本当に大事なときだけ」と思えるかどうか。それが、いざというときに動いてもらえるかを決める。

これは、以前に書いた「一人の判定を二人で補う」、つまり一人の目の偏りを、もう一人が補うという話とつながる。傾けすぎる人ほど、自分の傾きに気づきにくい。だからこそ、二人目の目がいる。心の視座で扱った正義病(=正しさを盾に、相手を追いつめすぎてしまう状態)とも地続きだ。止めることは正しさに見える。でも、正しさの量が多すぎると、正しさそのものが軽くなる。

見逃さない側に線を傾ける。それは変わらない。ただし、傾けた分だけ、私は自分の赤ふせんを数える。今日の指摘は、本当に必要な数だったか。埋もれさせていい一件など、一つもない。だから、大事な一件が埋もれないように、それ以外を欲張って止めない。見逃さない力と、止めすぎない力は、同じ一本の線の、両端にある。

07少ない中から探す、という前提

私の机には、毎日たくさんの資材が積まれる。医薬品の説明資料や広告の案だ。私はそれを一枚ずつ見て、行きすぎた表現や、根拠のない言い切りがないかを確かめる。ここで正直に書いておきたいことがある。その大半は、そもそも問題がない。作り手も規則を知っていて、気をつけて書いているからだ。

この「もともと問題が少ない」という事実は、私の仕事の見え方をじわじわ変える。数字で考えてみる。仮に百枚のうち、本当に直すべきものが五枚だとする。残りの九十五枚は、素直に通していい資材だ。この五対九十五という割合を、基準率(=母集団に問題がどれくらいの割合であるか、という「もとの比率」)と呼ぶ。

基準率が低いと、やっかいなことが起きる。私がどれだけ注意深く見ても、判定には必ず取りこぼしと勇み足が混じる。「これは問題あり」と拾い上げたもののうち、あとで見直すと実は問題なかった、という空振りが、思ったより多く出るのだ。これは私の腕が悪いからではない。もとの山に問題が少ないほど、「問題あり」の網には無実のものが多く入り込む。もとの山の性質が、そうさせている。

私の判定本当に問題ありの資材本当は問題ない資材
「問題あり」と拾う正しく拾えた(少数)空振り(意外と多い)
「問題なし」と通す見逃し(いちばん怖い)正しく通せた(大多数)

ここには、確率を後ろから考え直す道具が効いている。ベイズの考え方(=新しい手がかりを見たあと、もとの比率をふまえて「本当らしさ」を計算し直すやり方)だ。むずかしく聞こえるが、中身は素朴だ。「あやしい」と感じた一枚が本当に問題である見込みは、私の勘の鋭さだけでは決まらない。もとの山にどれだけ問題が混じっているかに、強く引きずられる。問題が少ない山では、同じ「あやしい」という感触でも、外れの側に転びやすい。

だから私は、線の引き方を一人で抱え込まない。あやしいと思ったものに、もう一人の目を通してもらう。二人目が見れば、私の空振りの多くはそこで取り除かれる。逆に、私が通しかけたものを二人目が拾い直すこともある。網を二重にすることは、遠回りではない。基準率が低い仕事では、二人目の目こそが空振りと見逃しの両方を減らす

最後に、忘れがちな前提を言葉にしておく。私は、すべてを一人で完璧に見分けることはできない。それは諦めではない。どこに線を引き、誰とそれを分かち合うかを、正直に決めることだ。完璧を手放すことと、仕事を投げることは違う。少ない中から探すという前提を認めたうえで、私はもう一人と一緒に、今日も一枚ずつ見ていく。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 見逃さない力(感度)と止めすぎない力(特異度)は、同じ一本の線の両端にある。どちらかを上げれば、もう片方は下がる。両方満点の点は線の外にあって、届かない。
  2. 線をどこに置くかは、能力の高い低いではなく、どちらの間違いをより恐れるかで決まる。取り返しのつきにくい見逃しを避けるため、線はやや見逃さない側へ。ただし傾けすぎない。
  3. もとの山に問題が少ない仕事では、正しく拾ったつもりでも空振りが混じりやすい。だから一人で抱え込まず、二人目の目で網を二重にする。
出典·参考文献
  1. Green, D.M. & Swets, J.A. Signal Detection Theory and Psychophysics. Wiley, 1966.(信号検出理論の古典。雑音の中から合図を見分ける枠組みを最初に体系化した本)
  2. Macmillan, N.A. & Creelman, C.D. Detection Theory: A User's Guide. Lawrence Erlbaum, 2005.(感度と判定の線を分けて考える実務的な入門書)
  3. Swets, J.A. Signal Detection Theory and ROC Analysis in Psychology and Diagnostics. Lawrence Erlbaum, 1996.(ROC曲線を診断の場に応用した論集)
  4. Gigerenzer, G. Calculated Risks(邦訳:数字に強くなる). Simon & Schuster, 2002.(基準率とベイズの考え方を日常語でほどいた本)
  5. Kahneman, D. Thinking, Fast and Slow(邦訳:ファスト&スロー). Farrar, Straus and Giroux, 2011.(人がなぜ確率を読み違えるかを扱う)
  6. Reason, J. Human Error(邦訳:ヒューマンエラー). Cambridge University Press, 1990.(人は人である以上ミスを避けられない、という前提を組織の側から論じた古典)
  7. Hastie, T., Tibshirani, R. & Friedman, J. The Elements of Statistical Learning. Springer, 2009.(ROCや誤りの兼ね合いを統計学習の側から整理した教科書)
  8. Pepe, M.S. The Statistical Evaluation of Medical Tests for Classification and Prediction. Oxford University Press, 2003.(医療検査の感度・特異度評価の標準的な参考書)
  9. Wickens, T.D. Elementary Signal Detection Theory. Oxford University Press, 2002.(信号検出理論を最小限の数式で説く入門)
  10. 西内啓. 統計学が最強の学問である. ダイヤモンド社, 2013.(感度・特異度・基準率を日本語の日常例で説明した一般書)