日々是好日エッセイ第38回。逸脱報告書を前に頭を下げる同僚から書き起こし、CAPAという審査の現場の骨組みを、恥と罪、なぜなぜ分析、公正な文化、事上磨錬、塞翁が馬という古今の言葉で掘り下げる。過ちを恥の物差しで測るのをやめ、掘る道具に持ち替えたとき、傷は知恵に変わる。その道筋をたどる設計図。
01「またやってしまいました」と下を向く前に
その日、同僚が一枚の書類を持って私の席に来た。逸脱報告書だった。彼はそれを机に置くなり、私が何か言う前に「すみませんでした」と頭を下げた。声が小さかった。まるで叱られに来た子どものようだった。
私が聞きたかったのは、謝罪ではない。「原因は何だったの?」——それだけだった。ところが恥ずかしさが勝つと、人は原因より先に自分の非を認めてしまう。認めることと、直すことは、別のことなのに。
ここで一度、地面を固めておきたい。私たちの仕事にはCAPAという考え方がある。難しそうな言葉だが、中身は台所の火の始末に似ている。鍋を焦がしたら、まず火を消す。次に、なぜ焦げたのかを考える。火が強すぎたのか、目を離したのか。そして同じ失敗をしないよう、置き場所やタイマーを変える。それだけのことだ。
もう少しだけ順を追う。CAPAは、だいたいこういう流れで進む。
- 問題の特定。何が、いつ、どこで起きたのかをはっきりさせる。
- その奥にある「なぜ」を掘る、根本原因の分析。表面のミスで止めない。
- いま起きているズレを直す、是正措置。
- 同じ原因が二度と芽を出さないよう手を打つ、予防策。
- 手順書の改訂。直した内容を紙に落とす。
- 変わった手順を関わる人みんなに伝える、教育訓練。
- しばらく後に何件か抜き取って、本当に直ったかを見る、有効性の確認。
- 一度きりで終わらせず当たり前の習慣にする、組織文化への定着。
この一続きは、医薬品の品質を守る仕組みであるGMP・GxPの背骨にあたる。背骨だから、折れると全体が立たなくなる。恥の話をする前に、私はまずこの地面を踏み固めておきたかった。
02人は、過ちを必ず取り繕う
報告書を読み進めていて、一枚だけ、言い回しが妙に曖昧な紙が目にとまった。「作業中に一部の記録が反映されない事象が確認された」。誰が、どの手順で、何を落としたのか。肝心のところが、するりと抜けている。主語のない受け身の文章は、責任の置き場所をやわらかく隠す。読んでいて、雲をつかむような気持ちになった。
私はこの一文に、ある古い言葉を重ねた。孔子の門人が残した『論語』に、「小人の過つや必ず文る」という一節がある。小人は、過ちを犯すと必ずそれを取り繕う、という意味だ。文(かざ)るとは、うわべを飾って隠すこと。二千五百年前から、人は同じことをしていた。ミスそのものより、ミスした自分がどう見えるかを気にしてしまう。
なぜ、取り繕うのだろう。手がかりを一つ、文化人類学者ルース・ベネディクトに求めたい。彼女は人の行いを縛るものさしを、二つに分けて考えた。
| ものさし | 気にすること | 過ちへの反応 |
|---|---|---|
| 恥の文化 | 世間からどう見られるか | 隠す・取り繕う |
| 罪の文化 | 自分の中の善悪の物差し | 認める・直す |
恥の文化のもとでは、過ちは「見られてはいけないもの」になる。だから同僚は、原因を語る前に頭を下げた。彼が弱いのではない。人の目という物差しが、そう仕向けるのだ。
けれど、ここに落とし穴がある。恥じて隠した瞬間、その過ちが本来持っていた学びの値打ちも、一緒に土の下へ埋められてしまう。なぜ記録が落ちたのか。その答えは、掘り出せば次を守る宝になったはずのものだ。恥という物差しを机の上に置いたままにする限り、原因はいつまでも地面の下で眠っている。だから私は、謝ろうとする同僚を一度止めて、こう言い直したい。「頭を下げなくていい。一緒に掘ってみよう」と。
03「なぜ」を五回、地面を掘る
ある朝、一件のチェック漏れが見つかった。承認された効能の範囲を、ほんの少しだけ超えた表現があった。それが資材に残ったまま、外へ出てしまった。担当した後輩は青ざめていた。私は「誰が悪いか」を探す会議にはしたくなかった。だから机を囲んで、こう切り出した。「悪いのは人じゃない。仕組みのどこかに、すり抜ける隙間がある。それを一緒に探そう」。
最初の答えはすぐ出た。確認を忘れた。表面的には正しい。でも、そこで止めると同じことがまた起きる。私たちは「なぜ」をもう一度ぶつけた。なぜ忘れたのか。締め切り直前に差し替えが入り、最終版だけをもう一度見る手順が抜けていたから。ではなぜ抜けたのか。差し替え後の再確認が、誰の担当か決まっていなかったから。なぜ決まっていないのか。急ぎの差し替えは「例外」扱いで、通常の手順書に書かれていなかったから。
これがなぜなぜ分析だ。トヨタの生産現場で体系化された道具で、ふつう五回ほど掘ると、人のうっかりではなく仕組みの穴に行き着く。五回という数は魔法ではない。表面で満足しないための、ちょうどよい目安だと思えばいい。
掘った原因が一本道でないときは、特性要因図が効く。背骨の先に「チェック漏れ」を置き、そこから「人」「手順」「道具」「情報の伝わり方」といった太い骨を伸ばし、それぞれに小さな骨で具体的な原因をぶら下げる。頭の中だけで考えると、思いつきやすい原因にばかり目が向く。紙に骨を描くと、見落としていた枝が目に入る。
ここで私が若手に必ず話す区別がある。組織学習を研究したクリス・アージリスは、学びを二つに分けた。シングルループ学習と、ダブルループ学習だ。温度計に例えるとわかりやすい。設定した二十度に近づけようと暖房を強める・弱めるのがシングルループ。「そもそも二十度でいいのか」を問い直すのがダブルループ。
シングルループ
手順の枠は動かさず、ずれを直す。「差し替え後にもう一度見よう」と気をつける。速いが、前提が間違っていれば同じ壁にまたぶつかる。
ダブルループ
枠そのものを疑う。「急ぎの差し替えを例外にしている前提が穴では」と問う。手順書を書き換え、例外を通常の流れに組み込む。
今回の一件を「気をつけます」で終えれば、それはシングルループにとどまる。私たちは前提を疑うほうへ進んだ。急ぎの差し替えという「例外」を廃止し、どんな差し替えでも最終版を別の人がもう一度見る、と手順書を書き直した。根本原因分析は、このダブルループへの入口になる。表面を直すだけか、前提まで疑うか。その分かれ道に、掘る作業は私たちを立たせてくれる。
04君子の過ちは、日食のように
掘り下げが一段落したとき、報告してくれた後輩がまだ小さくなっていた。私は「隠さず出してくれて、ありがとう」と言った。本心だった。あの漏れは、本人が黙っていれば当分は表に出なかった。彼が自分から手を挙げたから、私たちは仕組みの穴を一つ埋められた。肩の力が抜けた彼の顔を、今も覚えている。
こういう場面になると、私はいつも論語の一節を思い出す。孔子は言った。「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」。人は誰でも間違える。問われるのは、間違えた後にどう振る舞うかだ。この一言は、責める側の刃を静かに納めさせる。
もう一つ、弟子の子貢の言葉がある。「君子の過ちや、日月の食のごとし」。日食は空の高いところで起きるから、皆が見上げて気づく。隠しようがない。けれど、欠けが元に戻れば、人はまたその光を仰ぎ見る。過ちは隠すものではなく、むしろ正す姿を見せるもの。そう教えてくれる。欠けたことを恥じて雲で覆おうとするより、堂々と満ちていく過程を見せるほうがいい。
これは古い訓話にとどまらない。ハーバードの研究者エイミー・エドモンドソンは、よく学び、よく直すチームに共通する土台を見つけ、心理的安全性と名づけた。安全でない職場では、人は失敗を隠す。隠された失敗は仕組みの穴として残り、いつか大きな事故になる。逆に、安心して打ち明けられる場では、小さな失敗が早く表に出て、早く直る。孔子の言葉と、現代の研究が、同じ方向を指している。
医療や航空の現場では、これを公正な文化(英: just culture=個人を責めるより、仕組みを直すことに力を注ぐ考え方。ただし、わざとやった不正や無謀な行いは別に扱う)と呼ぶ。ただし、これは「何をしても許す」という意味ではない。手を抜いた不正まで見逃すわけではない。区別するのはこうだ。
| 起きたこと | 問うべきこと | 向き合い方 |
|---|---|---|
| うっかりの見落とし | なぜ仕組みが防げなかったか | 人を責めず、手順を直す |
| ルールを軽く見た油断 | なぜ油断が起きやすかったか | 本人と対話し、仕組みも見直す |
| 意図した不正 | なぜ止められなかったか | 責任を明確にする |
今回の後輩は、いちばん上の行だ。だから責めない。責めれば、次の誰かは失敗を隠す。第34回で書いた「安心して打ち明けられる審査チーム」は、こうして一件ずつ築かれていく。過ちを掘り出し、隠さず差し出し、皆で直す。その繰り返しの先で、欠けた月がまた満ちるように、チームはもう一段強くなる。
05直すのは、紙の上ではなく事の上で
改訂した手順書を印刷し、関係者に配り終えたとき、私は一度、これで終わりにしかけた。逸脱の原因を突き止め、文章を直し、配った。手続きとしては完結している。上長のはんこも押された。
だが、その日の帰り道で引っかかった。配った文章を、あの人たちは本当に読むだろうか。読んだとして、忙しい審査の最中に思い出すだろうか。私自身、去年配られた改訂文書のうち、何枚を覚えているか怪しい。
人は文章を読んでも間違える。これは怠慢の話ではなく、脳のつくりの話だ。心理学では、人が一度に注意を向けられる範囲はとても狭いことが分かっている。文字で「気をつけよ」と書いても、実際に手を動かす場面で目に入らなければ、注意は素通りする。だから、直すべきは紙の上の文ではなく、事の上だと考えを改めた。第35回で私が書いた見える化は、まさにここに効く。
中国の思想家に王陽明(おうようめい、=約五百年前の明の学者・軍人)という人がいる。彼は事上磨錬(じじょうまれん、=机の上ではなく、具体的な事の上で自分を磨くこと)を説いた。静かに座って本を読むだけでは人は変わらない、実際の仕事や困難の中でこそ鍛えられる、という考えだ。彼はもう一つ、知行合一(ちこうごういつ、=知ることと行うことは切り離せない、ひとつのものだ)を言った。頭で「こうすべきだ」と分かっているのに手が動かないなら、それはまだ本当には知っていない、と彼は突き放す。厳しい言葉だが、審査の現場に当てはめると腑に落ちる。
私は改訂を二段に分けた。ひとつはSOPの文言そのものを直すこと。もうひとつは、その手順が事の上で動くように仕組みを埋め込むこと。この二つは役割が違う。
| やること | 紙の上で終わる直し | 事の上に届く直し |
|---|---|---|
| 手順書(SOP) | 誤りの箇所を書き換えて配布 | 間違えやすい所にチェック欄を作り、手が止まる仕掛けにする |
| 教育訓練 | 「読んでおいてください」と伝える | 実際の資材を使って、その場で手を動かして確認してもらう |
| 確認 | 配った・伝えた記録を残す | 次の一件で、手順どおり手が動いたかを見る |
教育訓練を、私は座学から実地に寄せた。過去に逸脱が起きた資材を実物として持ち込み、「ここで何がまずかったか、手を動かして探してみてください」とお願いした。説明を聞くだけの三十分より、自分の手で一枚めくって見つけた瞬間の方が、はるかに残る。知行合一とは、たぶんこういうことだ。知った気になって終わらせず、手が動くところまで運ぶ。
是正は、配った時点では根を張っていない。現場で誰かの手が実際に動いて、決めた通りに止まったり確かめたりして、そこで初めて土に根を下ろす。あの改訂も、次の一件で後輩の指が最終版の前で一度止まったのを見て、私はようやく、これは生きたと思えた。
06一件ずつ積むと、文化になる
改訂した手順が回り始めてしばらく、私はサンプリングで再発を見張った。同じ種類の逸脱が、次の資材でまた出ていないか。抜き取った十数件のどれにも、あの間違いは無かった。派手な達成ではない。ただ、静かに安堵した。息をひとつ、ゆっくり吐いた。
この「出ていないことを確かめる」作業を、私たちは有効性の確認と呼ぶ。直したつもりで終わらせず、時間を置いて、事実で裏を取る。ゼロが続いて初めて、その是正は効いたと言える。一度の成功では足りない。効きめは、続いてこそ効きめだ。
荀子(じゅんし、=約二千三百年前の中国の思想家)に、積善成徳(せきぜんせいとく、=善い行いを一つずつ積み重ねると、やがて良心が体に染みついた状態になる)という言葉がある。荀子は、人は放っておけば楽な方へ流れると見た、冷静な人だ。だからこそ彼は、生まれつきの立派さに期待せず、小さな行いを積むことに賭けた。徳という言葉が硬ければ、こう置き換えていい。良い行いを繰り返すうちに、それが当たり前になって、考えなくてもそう動けるようになる。組織も同じだ。
一件のCAPAは、それ単体では小さい。資材一つの、逸脱一つを直しただけ。だが積むと、組織の体質が変わっていく。「前もここでつまずいた、気をつけよう」が合言葉になり、やがて誰も口にしなくても手が慎重になる。これが組織文化への定着だ。文化は宣言では作れない。一件ずつの積み重ねでしか根づかない。
ここで、後輩に一つ打ち明けておきたいことがある。CAPAを担う役回りは、正直しんどい。自分の見落としが起点のこともあり、恥ずかしさがつきまとう。でも、この役には割に合う面がある。私はそれを役得と呼んでいる。
部門長を動かす経験
是正には人と予算がいる。若手のうちから部門長に「ここを変えたい」と話を通し、判断を仰ぐ。上の人を動かす経験が、給料をもらいながら手に入る。
組織の仕組みが見える
逸脱を追うと、なぜこの部署とあの部署の間で情報が落ちたかが見えてくる。組織論が、教科書ではなく実物で分かる。
人を導く立場になる
教育訓練を整え、皆に新しいやり方をお願いする。命令ではなく納得で動いてもらう。リーダーシップが、実地の中で自然に身につく。
だから、CAPAを任されたら気を落とさないでほしい。それは失点の後始末である前に、めったにない経験の入口だ。部門長と渡り合い、組織の配線を見通し、人を導く。こんな学びを、しかも仕事として与えられる場は、そう多くない。恥だと思っていた場所が、いつの間にか一番の稽古場になっている。一件ずつ積むと、直したものだけでなく、積んだ自分も変わっていく。
07人間万事、塞翁が馬
半年前のあの同僚を、私はよく覚えている。自分が担当した説明資材に逸脱が見つかったとき、彼は会議室でずっと下を向いていた。「すみません」を三回くらい言った。顔が赤くて、指先が机の上で小さく動いていた。誰も責めていないのに、彼の中では、もう自分が裁かれていた。
その彼が、先週、後輩に教えていた。CAPAの回し方を、ホワイトボードに図を描きながら説明していた。「ここでね、『誰が悪いか』を探し始めると、たいてい道を間違えるんだ」と彼は言った。私は廊下でそれを聞いて、少し立ち止まった。半年で、人はここまで動く。
古い話をひとつ。中国の古典『淮南子(えなんじ。=二千年ほど前に編まれた思想書)』に、塞翁が馬という話がある。国境近くに住む老人の馬が逃げてしまう。近所の人が気の毒がると、老人は「これが福になるかもしれない」と言う。しばらくして馬は、立派な馬を連れて帰ってくる。今度は皆が喜ぶが、老人は「これが禍(わざわい。=わるいこと)になるかもしれない」と言う。息子がその馬から落ちて足を折る。すると戦がおきて、足を痛めた息子だけが兵に取られず生き残る。禍と福は、その場では見分けがつかない。掘ってみるまで、どちらに転ぶか分からない。
逸脱という禍が、学びという福に転じる。その道筋を、私はこのシリーズでずっと見てきた。「正しさの置き場所」を、人の中から仕組みの中へ移す。過ちを、裁く材料ではなく、直す材料として扱う。すると不思議なことに、資材の質は上がっていく。下を向いていた同僚が顔を上げるまでにかかったのは、才能ではなかった。恥という物差しを、彼が一度、手から置いたことだった。
第29回で書いたことに、ここでつなげておきたい。羅針盤は道を教えない、という話だった。羅針盤は北がどちらかは教えるが、目的地までの道は教えてくれない。恥という物差しも似ている。いや、もっとたちが悪い。恥は「北」すら狂わせる。自分が責められると思った瞬間、人は原因ではなく言い訳を探し始める。方角そのものが、内側へねじれてしまう。
だから逸脱が見つかった日のことを、二通りに書いてみたい。その場では、叱られる禍に見える。「自分のせいだ」と縮こまり、恥ずかしくて早く終わらせたくなる。ところが掘ったあとには、別の顔が出てくる。それは弱点の在りかを教えてくれた地図であり、原因は自分ではなく手順の隙間にあったと分かり、回したCAPAは後輩に手渡せる知恵に変わっている。同じ一件が、測る物差しを替えるだけで、禍から福へ姿を変える。
だから私は、恥を手放すことをすすめる。開き直りとは違う。過ちを軽く見ることでもない。ただ、「恥ずかしい」という感情を、原因を掘る手からいったん外す。そうしないと、シャベルが動かない。恥を握ったままでは、人はいつまでも穴の縁で下を向いている。手放して初めて、地面に刃が入る。
そして掘ってみると、そこに何が出るか。あの同僚が半年で見せてくれた。逸脱は、埋まっていたときは禍の顔をしていた。掘り出したとき、それは後輩に手渡せる知恵になっていた。過ちは、恥の物差しで測っているうちは、ただの傷だ。物差しを置いて、掘る道具に持ち替えたとき、過ちは初めて、金塊になる。
- 過ちを恥じて隠すと、原因という「次を守る宝」も一緒に埋めてしまう。責めるべきは人ではなく、すり抜けを許した仕組みの隙間だ。
- 直しは紙の上では根づかない。SOPの文言を替えるだけでなく、実際に手が動く場面に仕掛けを埋め込み、後で事実で効きめを確かめて初めて是正になる。
- CAPAを一件ずつ積むと、直した資材だけでなく組織の体質と担った本人が育つ。恥の物差しを手から置き、掘る道具に持ち替えたとき、傷は知恵に変わる。
- 孔子(金谷治 訳注). 論語. 岩波文庫, 1963.(過ちと改めをめぐる言葉の原典)
- エイミー・C・エドモンドソン. 恐れのない組織. 英治出版, 2021.(心理的安全性を職場の言葉で解いた一冊)
- クリス・アージリス. 組織の罠——人間行動の現実. 文眞堂, 2016.(シングル/ダブルループ学習の考え方)
- ルース・ベネディクト. 菊と刀. 講談社学術文庫, 2005.(恥の文化と罪の文化の対比)
- 王陽明(溝口雄三 訳). 伝習録. 中公クラシックス, 2005.(知行合一・事上磨錬の出どころ)
- 荀子(金谷治 訳注). 荀子. 岩波文庫, 1961.(積善成徳——積み重ねが良心になる)
- 劉安 編(楠山春樹 訳注). 淮南子. 明治書院, 1979.(塞翁が馬の寓話を収める)
- シドニー・デッカー. ヒューマンエラーは裁けるか——安全で公正な文化を築くには. 東京大学出版会, 2009.(公正な文化=just cultureの入門)
- 石川馨. 品質管理入門. 日科技連出版社, 1989.(特性要因図となぜなぜ分析の基礎)
- 中込秀樹 ほか. GMPとCAPA——医薬品品質保証の実務. じほう, 2018.(是正措置・予防措置の実務の流れ)