一緒に悩む、という審査のかたち。答えが出せなくても、相手の声を最後まで聴くこと。そのこと自体が、ときに救いになる。うまい落としどころが、どうしても見つからない日の話をしたい。

01直せば済む、とは言えない朝

その朝、私の机には一枚の資材があった。医療者向けの説明用パンフレット(=薬の効き目や使い方を伝える印刷物)で、私はそこに三枚の付箋を貼った。一枚は「この数字はグラフの縦軸が途中から始まっていて、効果が大きく見える」。もう一枚は「この一文は、承認された範囲を超える患者に効くと読めてしまう」。最後は「注記が本文より小さすぎて、条件が伝わらない」。どれも直せば済む、と私は思っていた。付箋の言葉も、我ながら明快だった。

作成者に返しに行くと、彼は付箋をゆっくり一枚ずつ剥がして読んだ。そして顔がこわばった。怒りではない。もっと静かな、閉じていくような表情だった。私は次に言おうとしていた「ここをこう直せば通ります」という一言を、なぜか飲み込んだ。

あとで分かったのだが、その資材は彼が三か月かけて、現場の医師たちに何度も見せながら作り上げたものだった。私が「途中から始まる縦軸」と呼んだグラフには、そう描かないと臨床の実感が伝わらない、という彼なりの理屈があった。まちがってはいるのだが、まったくの思いつきというわけでもなかった。修正点そのものは、今でも私は間違っていなかったと思う。ただ、正しさを伝えることと、相手がそれを受け取れることは、まったく別のことだった。

私たちの仕事には、白黒がはっきりする場面が多い。この表現は認められる、これは認められない。線引きができるから、審査という仕事が成り立つ。けれどその朝の私が抱えていたのは、線引きの問題ではなかった。線は引けている。引けているのに、その一枚の紙をはさんで、二人の人間が動けなくなっていた。直せば済む、とは言えない。直し方は分かっていても、彼がそれを自分の手で直せる気持ちになるまでの道が、まだどこにも無かったのだ。

この回で考えたいのは、そこだ。どう直すか、ではなく、うまい落としどころがどうしても見つからない時、審査する側に何ができるのか。答えを一つ、先に置いておく。人は、自分の言い分がちゃんと聴かれたと感じられた時、たとえ結論が自分の望みどおりでなくても、その結論を受け入れやすくなる。決定の中身だけでなく、決め方が公正だと感じられるかどうかが効いてくる。この感触を、これから机の上の紙を起点に確かめていく。

02まず、最後まで聴く

翌週、別の作成者と向き合った。今度は私も少しだけ賢くなっていた。彼女が「この表現には理由があるんです」と話し始めたとき、私はいつものように、頭の中で反論を組み立てはじめた。「理由があっても、ルール上は」という文が、口の手前まで来ていた。そこで私は、一度それをやめてみた。反論を用意しながら聞くのを、途中で手放した。ただ、最後まで黙って聴いた。

これが、思っていたよりずっと難しい。聴いているつもりで、私たちはたいてい「相手が言い終わったら何を言い返すか」を並行して考えている。順番待ちの反論を握りしめたまま、うなずいている。その握りを、いったん開く。彼女が話し終えても、すぐには何も言わない。三秒か四秒、私は黙っていた。

すると、彼女の肩から少し力が抜けた。目に見えて、だ。「……というのが、私の考えだったんですけど」と、最後は自分でトーンを落とした。誰にも遮られずに最後まで話せると、人は自分の言い分を自分で少し引いて眺められるようになるらしい。私が論破したのではない。ただ場所を空けただけで、彼女は自分から半歩下がった。

この態度には、名前をつけた人がいる。心理学者のカール・ロジャーズ(=相手が自分で答えを見つける力を信じる、聴くことを軸にした心理療法をつくった人)だ。彼が残したのは、相手を良い悪いで裁かず、そのまま受けとめようとする態度(無条件の肯定的関心)という考え方だった。評価も助言も、いったん脇に置く。賛成も反対もせずに、まず相手がそこに居ることを認める。ロジャーズが言いたかったのは、聴くことは技術ではなく姿勢だ、ということだったと私は受け取っている。

私がやりがちな「聴き方」ロジャーズの言う「聴き方」
相手の話の途中で反論を組み立てる反論を握らず、最後まで場所を空ける
「でも」「ただ」を挟む隙をうかがう言い終わりの沈黙を、こちらから壊さない
正しさを先に示して、相手を動かそうとするまず受けとめ、相手が自分で動ける入り口を作る

誤解のないように書いておく。最後まで聴くことは、修正点を取り下げることではない。縦軸の話も、承認された範囲の話も、私は引っ込めていない。ルールはルールのまま、机の上に残っている。変わったのは、その話を始める前の空気だ。反論の順番待ちをやめて、相手をそのまま受けとめる。たったそれだけで、閉じかけていた対話に、もう一度入口が開いた。落としどころは、まだ見つかっていない。それでも、探しはじめられる場所には、ようやく立てた。

03わかる、には二種類ある

ある資材(=医薬品の効き目や使い方を医療者に説明するための冊子や資料)の審査で、こんな一文と向き合ったことがある。試験のなかで特に見栄えのいい数字を、大きく載せたい、と作成者は言った。私は、その数字を選んだ理由をひととおり説明できた。この製品の強みが一番はっきり出るのはこの場面だ。だから目立たせたい。作成者の頭の中の道筋は、私にもちゃんとたどれた。

でも、規制上はそのまま載せられない。全体の結果を見せずに一番いい部分だけを切り出すと、読む医療者が薬の実力を高く見積もってしまう。私は「おっしゃる事情はわかります。ただ、この見せ方は認められません」と伝えた。理屈は通っているはずだった。なのに、相手は動かなかった。表情が固いまま、話が前に進まない。

あとで気づいた。私が示していたのは認知的共感(=相手の考えていることを、頭で筋道立てて理解すること)だけだった。「なぜこの数字を載せたいのか」という論理は追えていた。でも、その人が本当に抱えていたもの、半年かけて作った資材を差し戻される悔しさや、上司への説明が振り出しに戻る焦り。そこには手が届いていなかった。

次に会ったとき、私は数字の話をいったん脇に置いて、こう聞いた。「これ、作り直しになると、けっこう大変ですよね」。相手が少し息をついて、締め切りのことを話しはじめた。ここでようやく情動的共感(=相手の気持ちを、自分もいくらか感じ取ること)が動いた。すると不思議なもので、そこから先の代案の相談は、思いのほか早く進んだ。

頭でわかる

認知的共感。相手の論理や事情を筋道立てて理解する。「なぜそうしたいか」は説明できる。ただし、それだけでは相手の心は動きにくい。

心で感じ取る

情動的共感。相手の焦りや悔しさを、こちらもいくらか感じる。ここが通じて初めて、「この人になら本音を話せる」という空気が生まれる。

二つは役割が違う。頭でわかるだけの共感は、正しい判断はできても冷たく響く。感じ取るだけの共感は、優しいけれど審査の線引きを曖昧にする。審査という仕事では、両方をその場で使い分ける必要がある。相手の事情を論理で受け止め、同時に、その奥にある気持ちに一言だけ触れる。私はまだ、その配分がうまいとは言えない。ただ、片方だけでは会話がかみ合わない、ということは体で覚えた。

04立場ではなく、その奥を見る

審査の場は、放っておくと勝ち負けになる。作成者は「この文言は残す」と言い、私は「削る」と言う。二本の線が正面からぶつかって、どちらが折れるかの我慢比べになっていく。押した分だけ相手も押し返してくる。こういうとき、話し合いはたいてい行き詰まる。

この構図に名前をつけてくれたのが、ロジャー・フィッシャーとウィリアム・ユーリーという二人の研究者だった。彼らの本『ハーバード流交渉術』は、行き詰まる交渉には共通のかたちがあると言う。人が立場(position=「こうする」という表に出た主張)の一点で押し合うと、譲ることが負けになってしまう。だから動けない。

彼らの提案は、立場の線を一段下げてみること。その主張の奥にある利害(interest=本当に守りたいもの、かなえたい願い)を見にいく。ここでいう利害とは、損得勘定のことではない。その人がなぜそこにこだわるのか、という根っこのことだ。

その目で見直すと、私が担当したあの場面は、まるで違って見えた。作成者の奥にあった願いは「この薬の良さを、必要としている医療者にちゃんと届けたい」だった。審査である私の奥にあった願いは「まちがった情報で、患者さんや医療者を惑わせたくない」だった。二つを並べてみて、はっとした。この二つは、実はぶつかっていない。どちらも、正しい情報が正しく届くことを望んでいる。

 表に出た立場その奥にある願い
作成者この数字を大きく載せる薬の良さを、必要な人に正しく届けたい
審査その見せ方は削るまちがった情報で患者・医療者を惑わせたくない

フィッシャーとユーリーは、もう一つ大事なことを言っている。人と問題を切り離すこと。私が向き合うべきは、目の前の作成者その人ではなく、二人のあいだに置かれた「どう見せれば正しく伝わるか」という問題だ。相手を敵にしない。問題を二人で同じ側から眺める。そう構え直せたとき、「全体の結果も並べて載せれば、強みも誠実さも両方伝わりませんか」という代案が、自然に口から出た。立場でにらみ合っていたときには、見えていなかった余地だった。

05それでも、案が出ない

その日の差し戻しは、いつもより長引いた。作成者の方が持ってきたのは、ある治療薬の効き目を説明する資料だった。伝えたいことは、はっきりしている。この薬は、これまで打つ手のなかった患者さんの一群に届く。担当の方は、その手応えを現場の医師に伝えたかった。私も、その気持ちのほうは分かる。分かるのに、書かれた表現はルール(=医薬品の広告や説明資料が守るべき決まりごと)の線を越えていた。

私は、いつものやり方を試した。表向きの要求ではなく、その背後にある本当の狙いまで下りていく。「なぜ、この言い方なのか」を何度も聞く。すると、担当の方が本当に守りたいものが見えてくることが多い。言葉の飾りではなく、患者さんに届く事実そのものを守りたいのだ、と。そこまで下りれば、たいていは別の言い方が見つかる。ルールの内側で、同じ事実を伝える道が。

ところが、その日は見つからなかった。次善の案(=一番の希望がだめなとき、その次に良い案)をいくつか出した。どれも、担当の方にとっては痛い。いちばん伝えたい中心の部分が、少し削れてしまう。「これでは、いちばん届けたい相手に届きません」。そう言われて、私も黙った。うまい落としどころが、どうしても無い。そういう時が、この仕事にはある。

こういう行き止まりで、私が最近やってみるのは、話し合いが決裂したら次にどうするか、その手を先に二人で出しておくことだ。交渉ごとの研究に、BATNA(=バトナ。話し合いがまとまらなかったとき、それぞれが取れる次の一手)という考え方がある。合意できないとき、自分は代わりに何ができるのか。相手は代わりに何をするのか。それを二人で並べて確認しておく、という備えだ。

私の次の一手

このまま差し戻す。担当の方は別の表現を練り直して再提出する。時間はかかるが、ルールの内側にとどまる。

担当の方の次の一手

上長に相談して、資料の狙い自体を組み直す。あるいは、この一群への訴求を別の資料に分ける。

二人で確認したこと

どちらの手も、今日ここで無理に丸をつけるより現実的だ。強引な合意は、あとで両方を苦しめる。

面白いのは、この確認をすると、部屋の空気が変わることだ。BATNAをはっきりさせると、無理な要求も、行きすぎた譲歩も、どちらも減る。担当の方は「では、丸をもらうために芯を削る」とは言わなくなった。私も「とにかく通してあげたい」と情に流されずに済んだ。決裂したときに何が起きるかを、二人で正直に見たからだ。落としどころが無いことを、二人で認める。それは負けではなかった。感情のぶつけ合いを、現実の相談に変える、ひとつのやり方だった。

06答えより先に、聴かれたという実感

結局、その日は結論が出せなかった。差し戻しは、差し戻しのまま。私は丸をつけられなかったし、担当の方は資料を持ち帰ることになった。相手にとって、はっきり不利な結果だ。それなのに、席を立つとき、その方が小さく言った。「今日は、ちゃんと聴いてもらえました」。表情が、来たときより少しほどけていた。

私は、その一言が長く気にかかった。結果は何ひとつ相手の希望どおりではない。なのに、なぜあの人は少し楽になったように見えたのか。答えを出せなかった私が、何かの役に立ったのだとしたら、それは何だったのか。

手がかりは、ある研究者の仕事のなかにあった。トム・タイラーという社会心理学者が、長いあいだ調べてきたことだ。人は、自分に不利な結果を受け取っても、そこに至るまでの過程が公正だと感じられれば、その結果を受け入れやすい。これを手続き的公正(=結果の中身ではなく、決め方や扱われ方が正しいと感じられること)と呼ぶ。裁判で負けた人でも、「言い分をきちんと聴いてもらえた」と感じた人のほうが、判決に納得しやすい。タイラーたちの一連の研究が、そういう事実を示してきた。

なかでも効くのが、声(=ヴォイス。自分の言い分を、その場でちゃんと述べられること)だという。結論を動かせたかどうかとは別に、聴かれたという実感そのものに価値がある。人は、自分が数字や手続きの部品として処理されたのか、一人の相手として扱われたのかを、驚くほど敏感に感じ取る。

聴かれなかった差し戻し聴かれた差し戻し
結果不承認不承認(同じ)
過程「ルール違反です」で終わる狙いを最後まで聞き、代わりの手を一緒に探す
相手に残るもの拒まれた、という記憶相手として扱われた、という実感

この研究が教えてくれたのは、私の仕事の芯にあることだった。私は、いつも正しい答えを出せるわけではない。落としどころが無い日もある。それでも、相手の声を最後まで聴き、その狙いを一緒に抱えて悩むことはできる。答えが出なくても、隣で一緒に悩む。その姿勢が救いになる。それは気休めの言い方ではなく、タイラーたちが数字で確かめてきた、人の本当のところだった。あの日ほどけた表情は、答えへのお礼ではなかった。聴かれた、という実感への、静かな返事だったのだと思う。

07押し戻す相手は、同じ現場の仲間

差し戻しの付箋を貼るとき、私はいつも少し身構える。この資材(=医薬品を医師や薬剤師に説明するための冊子やスライド)を作った人は、たぶん何週間もこれと向き合ってきた。その労力に「ここは直してください」と赤を入れる。机の向こうにいる相手の顔が、一瞬だけ浮かぶ。

審査という仕事は、構造からして「押し戻す」側に立つ。表現が行き過ぎていないか、データが、承認された範囲より大きなことを言っていないか。問題を見つけて返すのが役目だから、やり取りはどうしても差し戻しで終わりがちだ。そして返された側は、まるで自分が試験に落ちたような気持ちになる。私にも作り手だった時期があるから、あの落胆はよく知っている。

でも、あるとき気づいた。押し戻す相手は、敵ではない。同じ患者と、同じ医療者のために、同じ資材と格闘している仲間だ。私が「この一文は言い過ぎだ」と迷うその同じ問いに、相手も机の向こうで悩んでいる。立っている場所が違うだけで、見ている方向は同じなのだ。

ここで、答えが出ない場面のことを考えたい。審査には、白黒つかない灰色の相談がある。この表現は許されるのか、それとも踏み込みすぎか。私にも即答できないことがある。そういうとき、心理学でいう社会的支え(=そばに居て一緒に抱えてくれる人がいると、つらさそのものが和らぐ働き)が効いてくる。研究者たちが繰り返し確かめてきたのは、支えは問題を消してはくれない、という点だ。答えの代わりにはならない。けれど、答えが出ないその時間を、独りで抱えるか二人で抱えるかで、重さがまるで違う。

敵として突き返す

「ここが規定違反です」で終える。相手は防御に入り、次はどう隠すかを考え始める。問題は残ったまま、二人の距離だけが開く。

仲間として隣に立つ

「ここ、私も悩みました。一緒に落としどころを探しましょう」。答えはまだ無い。でも同じ側から同じ問題を見る。

②を選んでも、正解がすぐ見つかるわけではない。灰色は灰色のままのことも多い。それでも、相手の表情がふっとゆるむ瞬間がある。「悩んでいるのは自分だけじゃなかった」。そう感じてもらえたとき、つらさの一部は確かに軽くなる。カウンセリングを研究したロジャーズ(=相手を評価せず、そのまま受けとめる姿勢を説いた心理学者)が言ったのも、近いことだった。人は、裁かれるとかたくなになり、受けとめられるとやわらかくなる。

差し戻しを「不合格の通知」ではなく「一緒に育てる途中の一歩」と捉え直すと、赤ペンの意味が変わる。私は相手を落とすために返すのではない。よりよい資材を、二人で仕上げるために返している。

だから、うまい落としどころがどうしても無いとき、私は無理に答えを出そうとしない。その代わり、隣に座る。「わからないですよね、これ」と正直に言う。答えを出せないことは、仕事の失敗ではない。答えが出ない時間に相手を独りにしないことが、この仕事でできる、たしかな一つのことだ。押し戻す相手は、最後まで、同じ現場の仲間なのだから。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 人は、結論が自分に不利でも、決め方が公正で、言い分をちゃんと聴いてもらえたと感じられれば、その結論を受け入れやすい。中身だけでなく過程が効く。
  2. 立場でぶつかっている二人も、その奥の願いまで下りると同じ方向を見ていることがある。人と問題を切り離し、決裂後の次の一手を先に二人で並べておく。
  3. 答えが出ない灰色の場面では、無理に結論を出すより、隣で一緒に悩むこと自体が相手の支えになる。押し戻す相手は敵ではなく、同じ現場の仲間だ。
出典·参考文献
  1. カール・R・ロジャーズ. カウンセリングと心理療法. 岩崎学術出版社, 2005.(相手をそのまま受けとめる傾聴の原点)
  2. カール・R・ロジャーズ. ロジャーズが語る自己実現の道. 岩崎学術出版社, 2005.(無条件の肯定的関心という態度の説明)
  3. ロジャー・フィッシャー, ウィリアム・ユーリー. ハーバード流交渉術. 三笠書房, 1990.(立場でなく背後の利害を見る考え方とBATNA)
  4. ウィリアム・ユーリー. 決定版 ハーバード流“No”と言わせない交渉術. 三笠書房, 2010.(決裂時の次善策を備える実践)
  5. トム・R・タイラー. Why People Obey the Law(人はなぜ法に従うのか). Princeton University Press, 2006.(結果より過程の公正が納得を生む研究)
  6. ダニエル・ゴールマン. EQ こころの知能指数. 講談社, 1996.(頭で理解する共感と感じ取る共感の違い)
  7. ポール・ブルーム. 反共感論――社会はいかに判断を誤るか. 白揚社, 2018.(情動的共感と認知的共感を切り分ける議論)
  8. マーシャル・B・ローゼンバーグ. NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法. 日本経済新聞出版, 2018.(相手の奥にある願いに焦点を当てる対話)
  9. シェルドン・コーエン ほか. Social Support Measurement and Intervention. Oxford University Press, 2000.(そばに居る支えがつらさを和らげる研究)
  10. ジェラルド・レーヴェンタール. 手続き的公正研究の古典的論考. 1980.(過程の公正さを人がどう判断するかの枠組み)