手順を磨くことは大切だ。だがそれだけでは足りない。飛行機を飛ばす現場は、人が間違える前提に立ち、起きたミスや危なかった出来事を隠さず集め、責めずに学びへ変えてきた。その仕組みの実態を、資材審査チームの日々の運営にどう移せるかを考える。第34回「心理的安全性」の姉妹編。

01チェック欄は全部埋まっていた

ある朝、一枚の資材が私の机に戻ってきた。数週間前に私が確認し、承認の印を押した説明資料だ。医師に渡す用法の一覧、そのなかの一つの数値が、承認された内容と一桁ずれていた。刷り上がったあとで見つかった。顔から血の気が引くほど、というと大げさだが、しばらく手が止まった。

担当した人の記録を見た。確認シートの欄は、上から下まですべて埋まっていた。日付も、チェックの印も、署名も、抜けはない。手順書に書かれた項目を、その人は一つずつたどっていた。さぼったわけではない。手を抜いたわけでもない。それでも、数字は素通りしていった。

最初に頭に浮かんだのは「誰か一人が見落としたんだな」という説明だった。楽な結論だ。犯人を一人決めれば、話は閉じる。でも私は、その考えに乗りかけた自分を止めた。全項目を確認し、記録まで残した人が、なぜたった一つの数字を見逃したのか。そこを飛ばして「不注意」で片づけると、同じことがまた起きる気がした。

イギリスの心理学者ジェームズ・リーズン(=人がなぜ間違えるかを、個人ではなく仕組みの側から研究した人)が、こういう事故の通り方を一枚の絵で説明している。スイスチーズ・モデル(=穴のあいたチーズを何枚も重ねたたとえ)だ。私たちは事故を防ぐために、防護壁を何枚も重ねる。手順書、確認シート、上司の再確認、印刷前の最終校正。どの壁も、事故を止めるためにある。

ところが、どの壁にも穴があいている。完璧な壁は一枚もない。手順書には書き漏れがあり、確認シートは見にくく、再確認する人も疲れている。ふだんは、一枚の壁の穴を、次の壁がふさぐ。だから事故は表に出ない。問題は、それぞれの壁の穴が、たまたま一直線に並んでしまう時だ。その瞬間、事故は何枚もの壁を一息に通り抜ける。今回の数字は、まさにその一直線を通ってきた。

手順は、この何枚もの壁のうちの一枚に過ぎない。それを完璧にしても、他の壁の穴が残っていれば、いつか穴はまた並ぶ。承認の印を押す私の目も、壁の一枚だ。私の壁にも穴があいていた。そう考えたほうが、次に何をすればいいかが見えてくる。

02すり抜けたのは、その人のせいではない

数字がなぜ素通りしたのか、もう少し奥まで掘ってみた。表面には、確かに操作のミスがある。確認する人が、正しい数値と資材の数値を、一つずつ突き合わせなかった。あるいは、突き合わせたつもりで、目が滑った。リーズンはこれをアクティブ・フェイラー(=その場で起きた、目に見える操作のミス)と呼ぶ。事故の直前に、現場で起きる間違いのことだ。

でも、そこで止めなかった。なぜ目が滑ったのか。確認シートを実物で見て、理由の一つが分かった。正しい数値を書く欄と、資材の数値を書き写す欄が、紙の上で紛らわしく隣り合っていた。似た数字が二つ並ぶと、人の目は「同じだ」と早合点しやすい。シートの作りそのものが、見落としを誘っていた。

もう一つ。その資材が確認に回ってきたのは、期末の週だった。処理する件数が、ふだんの倍近くになっていた。同じ人が、同じ時間で、二倍の枚数をさばく。一枚あたりにかけられる時間は半分になる。急げば、目は滑る。

この二つ、シートの紛らわしい作りと期末の作業量は、事故のずっと前から現場に埋まっていた。リーズンはこれをレイテント・コンディション(=以前から潜んでいた、組織の側の弱点)と呼ぶ。ふだんは害を出さない。だが条件がそろうと、現場の一人の手を借りて、事故として表に出る。潜んでいた弱点が、その日、目を覚ました。

その場のミス

数値を突き合わせず、目が滑った。目に見えるので、つい「その人のせい」にしたくなる。

紛らわしいシート

正しい数値と資材の数値の欄が隣り合い、「同じだ」と早合点しやすい作りだった。

期末の倍量

処理件数が普段の二倍。一枚にかけられる時間が半分になり、急げば目は滑る。

ここが分かれ道だと思う。目に見えるミスだけを直すなら、話は「今度から気をつけましょう」で終わる。担当を別の人に替えても、シートは紛らわしいまま、期末はまた来る。潜んでいた弱点はそっくり残るから、別の人が担当しても同じ穴からまた漏れる。人を替えても、穴は動かない。

だから私は、原因を人から仕組みへ、少しずつ移して見るようにしている。シートの欄を離して並べ替える。期末は一人に集中させず、確認の担当を分ける。目に見えるミスを叱るより、穴のあいた壁を一枚ずつふさぐほうが、次の一直線を防げる。承認の印を押す私にできるのは、そこだ。

03「いつものやり方」が、いちばん危ない

その近道が始まった日を、私はよく覚えていない。たぶん誰も覚えていない。年度末で資材の確認依頼が積み上がっていたある週、誰かが原本照合(=元の論文や添付文書と、資材の数字や引用が合っているかを、一つずつ突き合わせる作業)の一部を省いた。「この図表は前回も見た。中身は変わっていないはずだ」。それだけの判断だった。事故は起きなかった。締切には間に合った。上司からも何も言われなかった。

次の月も、同じ場面で同じ省略をした。やはり何も起きない。三か月が過ぎるころには、それは省略ですらなくなっていた。「うちのやり方」になっていた。新しく入った人には、最初からそのやり方を教える。省いているという自覚さえ、チームから消えていた。

この、危ない手抜きが「普通のこと」に溶けていく過程を、社会学者のダイアン・ヴォーンは逸脱の常態化(=ルールから外れた行いが、事故が起きないまま繰り返されるうちに、正常なやり方として受け入れられていくこと)と名づけた。彼女が調べたのは、1986年に空中分解したスペースシャトル・チャレンジャー号の事故だ。

原因になった部品(Oリングという、固体ロケットの筒の継ぎ目をふさぎ、燃焼ガスの漏れを止めるゴムの輪)は、打ち上げのたびに設計者の想定を超える傷みを見せていた。本来なら「危ない」と止めるべき信号だった。ところが、傷んでも爆発しなかった打ち上げが繰り返されるうちに、技術者たちは「この程度の傷みは許容範囲だ」と考えるようになっていく。一回ごとの判断は、その場では筋が通って見えた。無事に飛べたという事実が、次の「大丈夫」を後押しした。危険の基準そのものが、少しずつずれていった。

ここで大事なのは、彼らが怠けていたわけでも、無能だったわけでもない、ということだ。むしろ真面目に、その都度もっともらしい理由をつけて判断していた。うまくいっている間、誰も止めなかった。止める理由が、成功の実績にかき消されていたからだ。手順書は、起こりうる状況を全部は書けない。「傷みがどこまで許されるか」は、現場のその場の判断に委ねられていた。委ねられた判断が、少しずつ甘い方へ流れた。

逸脱が始まった時常態化した後
本人の意識「今回だけ省く」省いている自覚が消える
周りの反応誰も気づかない・言わない新人に「これが普通」と教える
止まる理由事故が起きないので、ない事故が起きて初めて現れる

チャレンジャー号が失われた後、多くの技術者が「前から気になっていた」と語った。気づいていた人はいたのだ。ただ、無事故の反復が、その不安を口に出す理由を奪っていた。私はこの話を、他人事として読めない。私たちの原本照合の省略も、事故が起きていないだけで、同じ坂道の途中にいたのかもしれない。うまくいっているうちは、その坂の傾きが見えない。だから怖い。

04チェックリストは、墜落から生まれた

若手の一人が、新人に渡す確認シートを見て顔をしかめたことがある。「これ、いちいちチェックを入れるの、正直めんどうです。信用されていないみたいで」。気持ちは分かる。項目を一つずつ指でたどって印をつける作業は、自分の腕を疑われているように感じるものだ。できる人ほど、そう感じやすい。

そこで私は、飛行機の話をした。1935年、アメリカ陸軍が次の主力爆撃機を選ぶ試験飛行をした。本命は、当時もっとも進んだボーイング299型機。エンジンを四つ積んだ、それまでにない大型機だった。操縦したのは、その道で最も腕が立つと評判のテストパイロットだ。ところが離陸した機体は、少し上昇したところで失速し、地面に叩きつけられて燃えた。操縦士は亡くなった。

原因を調べると、機械の故障ではなかった。新型機には、離陸前に解除しておくべき舵(かじ)の固定装置があった。腕利きの操縦士は、その解除を一つ、飛ばしていた。あまりに操作項目が多く、頭の中だけでは追いきれなかったのだ。新聞は「一人の人間が扱うには複雑すぎる飛行機」と書いた。

ここで話は終わらなかった。関係者は機体を諦めず、別の答えを出した。操縦士のチェックリスト(=離陸前・着陸前などに、やるべき操作を一つずつ声に出して確認する短い一覧表)だ。腕を上げるのでも、機械を単純にするのでもなく、抜けやすい手順を紙に書き出して一つずつ確かめる。この地味な一枚の紙を使ってから、ボーイング299型機は事故なく飛び続けた。後に何万回もの任務をこなす名機になる。

この話を丁寧に掘り起こしたのが、外科医のアトゥール・ガワンデだ。彼はチェックリストをテーマにした本(邦題『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』)で、手術室にも同じ発想を持ち込んだ。腕のいい医師ほど「自分に限って抜けはない」と思う。でも人はみな、忙しさと自信の中で、単純な一手を飛ばす。ガワンデが世界の病院で試すと、手洗いや患者の名前確認といった当たり前の項目を声に出して確かめるだけで、術後の合併症や死亡が目に見えて減った。

疑う道具ではない

チェックリストは「あなたは信用できない」という札ではない。優秀な人ほど陥る抜けを、下から支える手すりだ。

能力の代わりでもない

腕を要らなくするものではない。腕のある人が、その腕を最後まで発揮するための土台になる。

短いから効く

命にかかわる要点だけを数項目に絞る。長すぎる一覧は読み飛ばされ、かえって役に立たない。

私は若手にこう返した。原本照合の確認シートは、あなたを縛る鎖ではない。1935年に一人の名パイロットが命と引き換えに教えてくれた、「できる人ほど一つ飛ばす」という事実に対する、先人からの手すりなんだ、と。印をつける手間は、自分の腕を疑うためではなく、腕を最後まで通すためにある。そう言うと、彼の顔から険が少し取れた。

05危なかった話を、宝物として集める

ある日の審査で、私はひとつの資材をあやうく通すところだった。効能を説明するグラフの縦軸が、途中から目盛りの幅を変えていた。差が実際より大きく見える描き方だ。気づいたのは、印刷にまわす直前だった。背筋が寒くなった。そして次に頭をよぎったのは、恥ずかしいことに、こうだ。「これは、黙っておいたほうがいいのかもしれない」。自分の見落としを人に知られたくない。その気持ちは、私を長く縛ってきた。

この「事故には至らなかったが、危なかった」出来事を、専門の世界ではヒヤリ・ハット(=ひやりとした、はっとした、あの一瞬。大事には至らなかった小さな危険)と呼ぶ。工場でも病院でも使われる言葉だ。問題は、ヒヤリ・ハットを起こした本人が、たいてい口をつぐむことにある。責められるのが怖いからだ。そうして危険の芽は、誰にも共有されないまま消える。次に同じ場所で、別の誰かが今度こそ本当の事故を起こすまで。

ここで参考になるのが、米国の航空業界が作った仕組みだ。名前をASRS(=航空安全報告制度。パイロットや管制官が、危なかった出来事を報告するための窓口)という。この制度には、人の心をよく見た二つの工夫がある。匿名であること。そして報告しても罰しないこと。誰が報告したかは伏せられ、正直に打ち明けた人は、その報告を理由には処分されない。

結果は、はっきりしていた。責めない設計にした途端、報告の数が増えた。人は、罰が待っていなければ、自分の失敗を語れる。集まった大量のヒヤリ・ハットは分析され、危険なパターンとして全員に配られる。一人の冷や汗が、みんなの学びに変わる。失敗を隠す文化と、失敗を集める文化。事故の起きにくさは、たぶんこの一点で分かれる。

失敗を隠す職場失敗を集める職場
危なかった話は本人の胸にしまわれる危なかった話が匿名で棚に集まる
報告すると評価が下がる不安がある報告した行為そのものは責められない
同じ見落としが別の人に繰り返される一件の冷や汗が全員の予習になる

では、審査チームで何ができるか。私は具体案として、「あわや棚(あわや、通すところだった事例を集める場所)」を提案したい。名前は伏せる。誰が見落としたかは書かない。書くのは、どんな資材の、どこが、なぜ危なかったか、それだけ。月に一度、みんなで棚をのぞく。責める会ではない。学ぶ会だ。あのグラフの縦軸の話も、私は自分から棚に入れたい。恥は、共有した瞬間に、次の誰かを守る道具に変わる。

06気づいた人が、役職に関係なく声を出す

入って半年のメンバーが、審査ミーティングのあとで私にぽつりと言った。「さっきの資材、少し引っかかったんですけど……先輩が大丈夫と言ったので」。聞けば、もっともな指摘だった。効能の但し書きが小さすぎる、と彼女は感じていた。でも、経験の浅い自分が、ベテランの判断に口を挟んでいいのか分からなかった。その資材は、あとで差し戻しになった。彼女の引っかかりは、正しかったのだ。

この光景には、有名な下敷きがある。飛行機の操縦室だ。かつて、いくつもの墜落事故で、同じことが起きていた。副操縦士は異変に気づいていた。計器がおかしい、高度が足りない。けれど機長という上の立場に、はっきり異議を言えなかった。遠回しな言い方をしているうちに、機体は山へ、海へ落ちた。技術の問題ではない。気づいた人が、気づいたと言えなかったことが原因だった。

この反省から生まれたのがCRM(=クルー・リソース・マネジメント。役職や上下に関係なく、気づいた人が声を上げるための乗員の連携訓練)だ。機長の腕を磨く訓練ではない。副操縦士が「機長、高度が低いです」と、はっきり短く言えるようにする訓練だ。おかしいと思ったら、遠回しにせず、言葉にする。上の人はそれを、生意気だと切り捨てず、まず聞く。操縦室の安全は、この二つがそろって初めて保たれるようになった。

私はこれを、第34回で書いた心理的安全性(=ここでは、変なことを言っても馬鹿にされない、という職場の安心感)の、もう一歩先だと考えている。心理的安全性が「声を出せる空気」だとすれば、CRMは「声の出し方」そのものだ。空気があっても、出し方を知らなければ声は届かない。手順書は、資材の中身は点検してくれる。けれど、その手順を回している人間の判断ミスは、止められない。それを止めるのは、手順の外側にいる、もう一人の人間だ。

短く、はっきり

「少し気になるかもしれないんですけど」と前置きを重ねない。「この但し書き、小さすぎませんか」と一文で言う。遠回しは、緊急のときほど届かない。

役職より、気づき

先輩か後輩かは、指摘の正しさと関係ない。気づいたのが一番の新人なら、その新人が声を出す。それが当たり前だ、とチームで決めておく。

聞く側の作法

異議を受けた側は、まず「ありがとう、見てみよう」と返す。反射的に押し返さない。声を一度でも潰せば、次から誰も出さなくなる。

あの半年のメンバーには、あとで伝えた。「次は、その場で言っていい。むしろ言ってほしい」。彼女がうなずいた顔を、私は忘れない。役職に関係なく声が出るチームは、たぶん、一番若い人の小さな引っかかりを、事故の手前で拾える。手順を完璧にしても、人は間違える。だからこそ、間違いを止めるのも、また人なのだ。

07小さな綻びに、こだわり続ける

その資料は、ほとんど完璧だった。効能の説明も、副作用の書きぶりも、注記の位置も、どこを見ても問題がない。ただ一枚だけ、図表の見出しの字下げが他とずれていた。全角ひとつ分。読み手が気づくかどうかも怪しい、小さなずれだった。私は「たまたま貼り付けのときにずれたんだろう」と思い、承認の欄にチェックを入れかけた。そして、手が止まった。

止まった理由を、あとから言葉にするのは難しい。強いて言えば、「たまたま」で片づけた瞬間に、確かめることをやめている——その感触が嫌だったのだと思う。字下げがずれたのは、誰かがその図表だけ別のファイルからコピーしたからかもしれない。別のファイルということは、古い版かもしれない。古い版なら、数字が更新前かもしれない。小さなずれは、たいてい小さなずれで終わる。でも、まれに、その奥に大きな取り違えが隠れている。

組織の事故を長く研究してきたカール・ワイクとキャスリーン・サトクリフという二人が、「高信頼性組織(=一度の失敗も許されない現場。それでも事故をほとんど起こさずに動き続ける組織)」の共通点を調べた。彼らが最初に挙げたのが、小さな失敗の兆しにこだわり続けるという姿勢だった。うまく回っている現場ほど、ヒヤリとした小さな出来事を「大したことない」と流さず、「これは何かの始まりかもしれない」と扱う。小さなほころびを、大きな穴の予告として読む。私が字下げの前で手を止めたのは、たぶんこれの、ごく小さな一例だった。

彼らの指摘でもう一つ心に残るのは、いちばん詳しい人に判断を委ねるということだ。ふつうの組織は、難しい判断を役職の上の人へ持ち上げる。けれど高信頼性組織は、危ない場面では、その現場をいちばんよく知っている人へ判断を下ろす。肩書きではなく、その瞬間いちばん事情に通じている人が決める。資材審査でいえば、その製品の背景や過去の指摘を体で覚えている担当者が、「これは確認したほうがいい」と言えること。そしてその一言が、経験の浅さや立場で押しつぶされないこと。

小さな兆しにこだわる

「たまたま」で流しかけた違和感を、いったん立ち止まって確かめる。小さなずれの奥をのぞく癖。

詳しい人に委ねる

肩書きの高い人ではなく、その場をいちばん知っている人が「止めよう」と言えるようにする。

責めずに、分ける

正直な過失は責めない。故意やごまかしとは、はっきり分けて扱う。

では、間違いが見つかったとき、私たちはどう振る舞えばいいのか。ここで、航空事故の研究者シドニー・デッカーの言う「公正な文化(=正直な過失は責めず、故意やごまかしとは分けて扱う組織の空気)」が効いてくる。飛行機の世界では、パイロットや整備士が自分のヒヤリとした失敗を隠さず報告する仕組みが、安全を支えてきた。報告した人を吊るし上げれば、次から誰も報告しなくなる。だから、正直に打ち明けた過失は責めない。ただし、わざとの手抜きやごまかしは、それとは切り離して、きちんと問う。この「分ける」という一線が、正直さと責任の両方を守る。

審査の現場も同じだと思う。誰かが見落としを見つけて声を上げたとき、「なぜ気づかなかったんだ」と犯人を探すのか、「よく見つけてくれた、なぜ起きたのかを一緒に見よう」と言えるのか。前者を続ければ、人はミスを隠すようになる。隠されたミスは、次に誰も気づけない場所で、また顔を出す。

手順を守ることは、土台として欠かせない。でも手順は、それを守る人が疲れていても、慣れていても、同じように守れるとは限らない。だからこそ、手順の先に、もう一枚の空気を敷いておきたい。おかしいと思ったら口に出せる。声を上げても責められない。見つけたずれを一人で抱えず、みんなで見える場所に置ける。審査は個人の集中力に頼る作業から、チームで小さな綻びを拾い合う営みへ。そこへ少しずつ、空気を移していけたら。

あの日の字下げのずれは、確かめてみると、やはり一つ前の版の図表によるものだった。数字は幸い同じだったけれど、注記の一行が、更新前のままだった。手を止めてよかった、と思った。そして同時に、こうも思った。次に同じずれを見つけるのは、私でなくてもいい。誰が見つけても同じように立ち止まれる。そういうチームを、私は静かに育てる。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 手順は事故を止める何枚もの壁のうちの一枚にすぎない。壁にはどれも穴があり、その穴がたまたま一直線に並んだとき、間違いは通り抜ける。人を責めるより、穴のあいた仕組みを一つずつふさぐ。
  2. 危なかった出来事は、隠さず匿名で集めて学びに変える。責めない設計にすると報告が増え、一人の冷や汗が全員の予習になる。逸脱を「いつものやり方」に溶かさないための最良の見張りになる。
  3. 間違いを止めるのは、結局また人だ。役職に関係なく気づいた人が短くはっきり声を出し、正直な過失は責めず、故意やごまかしとは分けて扱う。その空気を、個人の集中力の先に敷いておく。
出典·参考文献
  1. James Reason. Human Error. Cambridge University Press, 1990.(人はなぜ間違えるか、スイスチーズ・モデルの原典)
  2. James Reason. Managing the Risks of Organizational Accidents. Ashgate, 1997.(組織事故と潜在要因の考え方)
  3. Diane Vaughan. The Challenger Launch Decision. University of Chicago Press, 1996.(逸脱の常態化を示したチャレンジャー号事故の分析)
  4. Atul Gawande. The Checklist Manifesto. Metropolitan Books, 2009.(チェックリストの起源と威力)
  5. Karl E. Weick, Kathleen M. Sutcliffe. Managing the Unexpected. Jossey-Bass, 2007.(高信頼性組織の五原則)
  6. Sidney Dekker. Just Culture: Balancing Safety and Accountability. Ashgate, 2007.(責めない文化と説明責任の両立)
  7. Sidney Dekker. The Field Guide to Understanding Human Error. Ashgate, 2006.(人の間違いを個人でなく仕組みで見る手引き)
  8. Robert L. Helmreich, Ashleigh C. Merritt. Culture at Work in Aviation and Medicine. Ashgate, 1998.(CRMと安全文化を航空・医療で比較)
  9. Charles Perrow. Normal Accidents: Living with High-Risk Technologies. Basic Books, 1984.(複雑な仕組みでは事故は避けがたいという視点)