本稿は、製薬の現場で遍在する「患者さんのため」という言葉について、その裏側にある構図を書く。批判が目的ではない。誰かを糾弾したいのでもない。ただ、自分の仕事が「患者のため」へと変換されていく経路を、一度立ち止まって見つめ直したい。そして、それがこのサイトを作るきっかけだったことを残しておきたい。
01言葉の遍在
「患者さんのため」は、製薬業界でもっとも頻繁に使われる言葉のひとつだ。新人研修の初日に聞き、製品説明会で聞き、社内の意思決定の場で聞く。困ったときの拠り所にもなる。判断に迷ったら「患者さんのためになるか」で考えよう、と。
これ自体は、悪いことではない。むしろ多くの場面で、人を正しい方向に向ける。問題は、その言葉があまりに無抵抗に、無検証に唱えられることだ。誰も反論しない。反論しようがない。患者のためでない、と言える人はいない。だから、その言葉は思考を止める装置にもなる。
02悪意がないから、見えにくい
私が感じる違和感は、嘘をついている人がいる、という話ではない。むしろ逆で、ほとんどの人が本心で言っている。そこが厄介なのだ。悪意のある建前なら見破れる。だが、本心からの刷り込みは、本人にも見えない。
刷り込み、洗脳、という言葉は強すぎるかもしれない。それでも近いものを感じる。入社して、研修を受けて、周囲が同じ言葉を使い、評価もその言葉で語られる。そのうちに、自分の仕事は「患者のため」だ、という変換が自動で起きるようになる。疑う回路そのものが、いつのまにか使われなくなる。
03株式会社の使命は、利益である
冷静に構図を見たい。日本の製薬企業のほとんどは株式会社だ。株式会社の受託者責任は、第一義的には株主に向く。会社の使命は、平たく言えば利益を上げ、企業価値を高めることにある。これは批判ではなく、制度の定義だ。
そのなかで、現場の一人ひとりの労働は、どこかの経路を通って「患者のため」という意味づけを与えられる。だが資金の流れを最後までたどれば、その労働が生む価値は、最終的には経営と株主 ── つまり資本 ── に向かう。これはどうしようもない。資本主義の構造であり、個人の善悪の問題ではない。
| 表向き(スローガン) | 実際の構図 | |
|---|---|---|
| 第一の目的 | 患者の利益 | 利益の最大化(受託者責任は株主へ) |
| 最終的な受益者 | 患者 | 株主・経営(資本) |
| 言葉の機能 | 動機づけ | 自己正当化と動員 |
| 検証のされ方 | 唱和される | ほとんど問われない |
| 「ため」を担保するもの | 善意 | 薬害史と倫理の学習・制度 |
誤解しないでほしい。利益を上げること自体は悪ではない。利益がなければ研究開発も供給も続かない。患者の利益と企業の利益が重なる場面も多い。問題は、その二つがずれる場面で、何が優先されるかだ。そして、ずれていることに気づけるかどうかだ。
04「自動変換」はどこで起きるか
「自分の仕事は患者のため」という変換は、巧妙な経路を通る。売上目標は「より多くの患者に薬を届けるため」と語られる。適応拡大は「救える患者を増やすため」。資材の表現を強めることさえ、「正しく伝えるため」と言える。一つひとつの言い換えに、嘘はない。だが積み重なると、利益の追求と患者の利益が、見分けのつかないものになる。
悪意のある建前は見破れる。本心からの刷り込みは、本人にも見えない。
05構図をメタ認知する
では、どうすればいいのか。構図そのものは、個人には変えられない。株式会社をやめろという話でもない。私が言いたいのは、もっと地味なことだ。この構図を、構図として認識し続けること。自分の「患者のため」が、どの経路を通って、最後は誰の利益になるのかを、忘れないでいること。
メタ認知は無力に見えて、そうではない。ずれに気づける人は、ずれた場面で踏みとどまれる。資材の一線を越えそうなとき、ネガティブな結果を薄めたくなるとき、「これは本当に患者のためか、それとも数字のためか」と問い直せる。その問いを持ち続けられるかどうかが、唯一、個人に残された自由だと思う。
06本当に患者のためと言うなら
もし本当に「患者さんのため」と言うのなら、学ぶべきものがある。スローガンを唱えることではなく、過去に患者がどう傷つけられたか、その教訓がどう制度になったかを知ることだ。だが、現場でそこまで学んでいる人を、私はあまり見たことがない。
薬害の歴史
サリドマイド、スモン(キノホルム)、薬害エイズ、ソリブジン。なぜ防げなかったのか、誰が何を優先したのかを具体で知る。
患者保護の思想
インフォームド・コンセント、患者の自己決定、被験者保護。患者を「対象」ではなく主体として扱う考え方の系譜。
医療倫理
ニュルンベルク綱領、ヘルシンキ宣言、ベルモント・レポートの三原則(人格の尊重・善行・正義)。
研究倫理
利益相反(COI)の開示、データの誠実性、再現性。誰の資金で、誰が解析し、誰が結論を書いたか。
出版倫理
ICMJE の基準、ゴーストライティング、スピン、ネガティブ結果の非公表。論文がどう作られ、どう歪むか。
これらは難しい専門書の話ではない。多くは公的な宣言や指針として、誰でも読める形で公開されている。「患者のため」と言う資格は、これらを一度でも自分の頭で通した人にだけある、と私は思っている。少なくとも、唱えるより先に読むべきだ。
07このサイトを作った理由
この違和感が、このサイトを作るきっかけになった。製薬・医療の規制や倫理を、スローガンとしてではなく、一次資料を踏まえて具体で書き残したかった。薬害がなぜ起きたか、広告規制が何を守るために生まれたか、資材審査の一線がどこにあるか。それを、唱和ではなく学習の対象として置きたかった。
私は資本の構図を否定できない。その中で働いている。だからこそ、せめて構図を見失わずにいたい。「患者さんのため」という言葉を、思考を止める呪文ではなく、毎回ひっかかる問いとして持ち続けたい。それが、この仕事を続けながら手放したくない一点だ。
「患者さんのため」は、美しい言葉だ。だからこそ危うい。美しい言葉は、検証されないまま動員に使われやすい。悪意がなくても ── いや、悪意がないからこそ ── それは静かに刷り込まれていく。
私はこの言葉を捨てたいのではない。むしろ、本当に意味を持たせたい。そのためには、唱えるのをやめて、学び、構図を見据え、ずれた場面で踏みとどまるしかない。スローガンを実装に変える作業は地味で、終わりがない。
コラム ── どんな日も、考えることを手放さない。「患者さんのため」と口にしそうになったその瞬間に、もう一度だけ疑ってみる。その小さな抵抗を、私は続けていたいと思う。
- 「患者さんのため」は多くの場合、悪意なく唱えられる。だが悪意がないことが、刷り込みを見えにくくする。
- 株式会社の受託者責任は株主に向く。自分の労働が「患者のため」へ自動変換される経路を、構図として認識し続けることが出発点。
- 本当に患者のためと言うなら、薬害史・患者保護・医療倫理・研究倫理・出版倫理を学ぶこと。スローガンではなく、学習と制度がそれを担保する。
- World Medical Association. Declaration of Helsinki ── Ethical Principles for Medical Research Involving Human Subjects. (人を対象とする医学研究の倫理原則)
- The National Commission. The Belmont Report: Ethical Principles and Guidelines for the Protection of Human Subjects of Research. 1979. (人格の尊重・善行・正義の三原則)
- Nuremberg Military Tribunal. The Nuremberg Code. 1947. (自発的同意を被験者保護の基礎に据えた起点)
- ICMJE. Recommendations for the Conduct, Reporting, Editing, and Publication of Scholarly Work in Medical Journals. (著者資格・利益相反・出版倫理の国際基準)
- 厚生労働省. 「薬害を学び再発を防止するための教育」関連資料 ── サリドマイド・スモン・薬害エイズ・ソリブジン等の経緯。(薬害の歴史と教訓)