AIが資材の下書きを書く時代に、資材審査の最良の成果は変わらず「何も起きないこと」であり、その仕事を正しくやったことは誰にも褒められない。誰にも褒められない仕事を、なぜ続けられるのか。褒められないから続かないのではなく、仕事の意味を自分で確かめられる構造があるかどうかが、続けられるかどうかを分ける。

01成果が「何も起きないこと」である仕事は、外から見えない

資材審査の仕事は、逸脱を未然に防ぐことだ。誇大な表現を削る。承認範囲外のデータに注記を付ける。出典が不確かな記載を止める。これらがすべてうまくいくと、何も起きない。問題のない資材が世に出る。それだけだ。

ハンナ・アーレントは人間の活動を「労働・仕事・行為」の三つに分けた。労働とは、生命を維持するために繰り返される活動で、痕跡を残さない。食事を作り、掃除をし、洗濯をする。終わったそばから消えていく。資材審査には、この構造がある。防いだ逸脱は外に現れない。「何も起きなかった」は成功の証拠だが、誰にも認識されない成功は承認を生まない。

図 1 成果が見えない仕事の構造
成功すると逸脱を未然に防ぐ審査担当者の仕事何も起きない最良の成果外部からは見えない痕跡が残らない承認が生まれない成功すると逸脱を未然に防ぐ審査担当者の仕事何も起きない最良の成果外部からは見えない痕跡が残らない承認が生まれない
仕事の成功そのものが不可視性を生む構造。成功するほど見えなくなる

02外部報酬がないとき、人は仕事の意味を内側に求める

エドワード・デシとリチャード・ライアンは1985年に自己決定理論を提唱した。外部からの報酬(給与の上昇、昇進、表彰)が得られない環境でも、人が動機を保ち続ける条件がある。彼らはその条件を3つの心理的欲求として整理した。

心理的欲求定義資材審査での現れ方
自律性自分の意思で選択・判断できる感覚審査基準の範囲内で自分の判断を通せる裁量
有能感自分の力で成果を出せる感覚防いだ逸脱を自分で確かめられる記録
関係性他者とつながっている感覚同じ仕事をする担当者との事例共有の場

外部報酬の代わりになるのは、この3つが満たされているかどうかだ。褒められなくても続けられる人は、この3要件のどれかを仕事の中に見つけている。褒められないことに耐えているのではなく、別の場所から意味を汲んでいる。

033要件のどれかが欠けると、人は静かに離れる

自律性・有能感・関係性の3つのうち、1つでも長期間欠けると、内発的な動機づけが低下する。デシとライアンの40年にわたる実験と現場研究の蓄積が、この関係を繰り返し確かめている。

離れる前に声を上げる人は少ない。自分の仕事に意味を見出せなくなったことを、上司や同僚に言語化して伝える人はまれだ。ある日、異動希望が出る。あるいは退職届が届く。組織の側は「急に辞めた」と感じるが、本人の中では長い時間をかけて静かに距離が開いていた。

この「静かな離脱」は、見える兆候を出さない。外から見える成果が「何も起きないこと」である仕事では、離脱の兆候もまた「何も起きないこと」の中に紛れる。

04「褒められない」と「意味がない」は別の問題である

ヴィクトール・フランクルは『夜と霧』(1946年)の中で、外部の承認がすべて奪われた環境でも生き延びた人々を記録した。収容所では給与もなく、昇進もなく、感謝もなかった。フランクルが観察したのは、自分の苦しみに意味を見出した人が耐え抜いたという事実だ。

図 2 「褒められない」と「意味がない」は別の次元
仕事が続かない外部承認の欠如褒められない内部の意味欠如意味を見出せない3要件で補える構造の問題意味の探索仕事が続かない外部承認の欠如褒められない内部の意味欠如意味を見出せない3要件で補える構造の問題意味の探索
「褒められない」は組織が構造で補える。「意味がない」は別の次元の問題であり、フランクルの知見が示す領域

収容所では外部承認が完全に不在だったが、意味を見出せた人はそれでも耐えた。外部承認の有無と意味の有無は独立に作用する。この知見は、褒められないことと意味を見出せないことが異なる次元の問題であることを示している。褒められないのは外部承認の欠如であり、組織が構造として補える。意味を見出せないのは個人の内面の問題であり、別の次元で向き合う必要がある。

資材審査で問われているのは前者だ。仕事の意味そのものが空虚なわけではない。逸脱を防ぐという行為には、患者の安全に関わる確かな意味がある。問題は、その意味が外部に見えないことだ。見えないから承認されない。承認されないから報酬がない。だが、意味そのものは存在している。

05AIが下書きを書く時代に、審査の仕事はさらに見えにくくなる

AIが資材の下書きを生成するようになると、「書いた」成果はAIに帰属する。審査担当者の仕事は「AIの出力を直した」という二次的な作業に見える。元から見えにくかった仕事が、さらに不可視になる。

成果がAIに帰属する

AIが下書きを生成すると「書いた」成果はAIのものに見え、審査担当者は「直した人」になる。

有能感と関係性が同時に損なわれる

AIの出力を直す作業は有能感を生みにくく、AIとの対話は関係性の代わりにならない。3要件のうち2つが同時に揺らぐ。

AIとのやり取りの中で「よくできた」と感じる瞬間は、人間の同僚とのやり取りで感じるそれとは質が違う。AIの応答には迎合性がある。前の記事で見たとおり、AIは利用者に同調する。同調された有能感は、本来の有能感の代わりにはならない。

06意味を自分で確かめられる構造がなければ、良心だけでは持たない

良心や使命感は、仕事を続ける動機の一つだ。「患者のために」「正しいことだから」。それは本物の動機であり、軽く見るつもりはない。

だが、デシとライアンの研究は、良心だけでは3要件の代わりにならないことを示している。自律性がなければ、良心は「やらされている」に変わる。有能感がなければ、良心は「報われない努力」に見える。関係性がなければ、良心は「自分だけが頑張っている」という孤立に化ける。

図 3 良心だけでは持たない理由
構造がないと良心・使命感個人の内面3要件が未整備組織の構造不在良心に全荷重がかかる長期的に持続しない静かな離脱へ構造がないと良心・使命感個人の内面3要件が未整備組織の構造不在良心に全荷重がかかる長期的に持続しない静かな離脱へ
組織が3要件を用意しなければ、個人の良心だけに荷重がかかり、長期的には持たない

3要件を組織が構造として用意しなければ、良心のある人に全荷重がかかる。良心のある人から先に疲れ、良心のある人から先に離れる。残りやすいのは、仕事の意味にもともと関心の薄い人たちだ。この構造が静かに進行するのは、良心のある人ほど声を上げずに去るからである。

07裁量・記録・接点の3つを制度にすれば、個人の良心に頼らずに済む

3要件は、個人の資質ではなく組織の仕組みとして埋め込める。具体的には三つの措置になる。

裁量の範囲を明文化する

審査の判断基準と、担当者が自分で完結できる領域を書面にする。「ここまでは自分の判断でよい」と分かれば、自律性が構造化される。判断のたびに上位者の承認を求める仕組みは、自律性を削る。

防いだ逸脱を記録する

「何も起きなかった」を可視化する。四半期に一度、防いだ逸脱の件数と内容を担当者本人にフィードバックする仕組みを作る。見えない成果を見えるようにすることが、有能感を支える。

事例共有の場を設ける

同じ職種の担当者が、判断に迷った事例を持ち寄って定期的に話す場を組織が用意する。頻度は月1回でよい。AIとのやり取りでは得られない「同じ仕事をしている人がいる」という感覚が、関係性を保つ。

この三つは、褒めることとは違う。褒めなくても、裁量・記録・接点があれば、人は仕事の意味を自分で確かめられる。確かめられるかどうかが、続けられるかどうかを分ける。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 資材審査の成果は「何も起きないこと」であり、成功するほど外から見えなくなる。褒められない理由は個人の能力ではなく、仕事の構造そのものにある。
  2. Deci & Ryanの自己決定理論(1985)は、外部報酬がない仕事で人が動機を保つには自律性・有能感・関係性の3つの心理的欲求が満たされる必要があることを示した。良心や使命感だけではこの3要件の代わりにならない。
  3. AIが資材の下書きを生成する時代に審査の仕事はさらに不可視になる。有能感と関係性が同時に損なわれる構造を組織が認識し、3要件を制度として埋め込まなければ、人は静かに離れる。
結語

誰にも褒められない仕事を続けられるのは、良心が強いからではない。仕事の意味を自分で確かめられる構造があるからだ。自律性・有能感・関係性の3つを、組織が個人の資質ではなく制度として用意すること。

AIが下書きを書き、審査の仕事がさらに見えにくくなる今、この構造を意識して作らなければ、見えない仕事を担う人は声を上げずに去っていく。去った後に気づいても、もう遅い。構造を先に作ることが、褒められない仕事を守ることになる。

出典·参考文献
  1. Oxford Academic. Hannah Arendt on Labor, Work, and Action (The Oxford Handbook of the Philosophy of Work). 2022年.(労働・仕事・行為の区分と、不可視の仕事の哲学的位置づけ)
  2. American Psychological Association. The intrinsic motivation of Richard Ryan and Edward Deci. 2020年.(自己決定理論の40年にわたる実験と現場研究の概観)
  3. ScienceDirect (Contemporary Educational Psychology). Intrinsic and extrinsic motivation from a self-determination theory perspective. 2020年.(3要件の定義と研究根拠)
  4. PMC (Frontiers in Human Neuroscience). The Emerging Neuroscience of Intrinsic Motivation. 2017年.(外的報酬と内発的動機づけの神経科学的知見)
  5. Simply Psychology. Logotherapy: Viktor Frankl's Theory of Meaning. 2024年.(フランクルの意味への意志の概説)
  6. Pursuit of Happiness. Viktor Frankl | Happiness and Meaning. 2023年.(収容所での意味探索の記録)
  7. Philosophy Break. Hannah Arendt on the Human Condition: Productivity Will Replace Meaning. 2023年.(アーレントの「労働」概念とAI時代の仕事の不可視性)
  8. Springer. Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Deci & Ryan, 1985年.(自己決定理論の原典)