同じ資材を三人で見て、三つの違う指摘が返ってきた。一人は数値の出どころを問うた。一人は見出しと本文の重心のずれを指摘した。一人は、この資材が渡される場面を思い浮かべて、口頭で何が足されるかを心配した。三つとも正しかった。そして三つとも、互いに重ならなかった。私はその一覧を眺めながら、長いあいだ自分が何を「そろえよう」としてきたのかを考えていた。

01三つの指摘が、別々の方向を向いていた

ある製品資材の見直しでのことだ。担当を分けずに、同じものを三人で見た。そろえるための試行だった。結果は、そろわなかった。

一人目の指摘は、グラフの元になった試験の患者背景に向かっていた。母集団の限定が本文に書かれていない、と。二人目は、見出しが効果の強さを言い切っているのに、本文はそこまで言っていない、と書いた。三人目の指摘は少し変わっていて、「この資材は説明会で使われる。この一枚を開いたとき、担当者は何を口で足すだろうか」という問いから始まっていた。

会議では、この三つを突き合わせて「どれが本当の指摘か」を決めようとした。だが決まらなかった。決まらないのは当然で、三つは競合していなかったからだ。競合していないものを一つに絞ろうとしていた。私たちがやっていたのは、比較ではなく切り捨てだった。

その日の帰り道に思ったのは、ばらつきを消す作業が、実は情報を捨てる作業だったのではないか、ということだった。

02ばらつきを、誤差と呼んできた

審査の品質を語るとき、私たちはほとんど反射的に「ばらつきを減らす」と言う。同じ資材なら誰が見ても同じ結論になるべきだ、という前提がある。この前提はかなり強く、疑われることが少ない。

疑われない理由も分かる。ばらつきは、外から見れば不公平に見える。同じ表現が、審査者が違うだけで通ったり戻ったりするなら、依頼する側は基準を信用できなくなる。だから均そうとする。基準書を厚くし、確認シートを増やし、判断の幅を狭めていく。

カーネマンらは、同じ事案を複数の専門家に見せたときに生じる判断の散らばりを、組織が測定していないこと自体が問題だと指摘した。彼らの言う散らばりは、誰かが間違っているというより、判断が本来もっている幅の話である。測っていないから、対処が精神論になる。ここまでは私も同意する。

ただ、ここから先で私は少し立ち止まる。散らばりを測ったあとにすべきことは、必ずしも「潰す」ではない。散らばりのうち、どれが誤りで、どれが情報なのかを分けることが先にある。分けずに均せば、誤りと一緒に、その組織が持っていた見え方の幅まで消える。

先ほどの三つの指摘に戻る。あれは誤りの散らばりではなかった。三人が、それぞれ違うものを見ていた。均せば、三分の二は消えていた。

03視点・視座・着想は、別のものである

「ばらつき」という一語が、性質の違う三つを飲み込んでいる。私はこの三つを分けて呼ぶことにしている。

視点 ── 何を見るか

資材のどの要素に注意が向くか。数値か、見出しか、図の軸か、注記の位置か。人によって最初に目が行く場所が違う。訓練と経験で偏りが作られる。同じ紙を見ていても、見ている対象が違う。

視座 ── どこから見るか

誰の立場に身を置いて読むか。規制当局か、処方する医師か、社内の説明会の場か、五年後にこの資材が引用される場面か。立ち位置が変われば、同じ文が安全にも危険にも見える。

着想 ── どう結びつけるか

目の前の資材と、過去の事例や別領域の知識をどうつなぐか。「これは以前の別製品で問題になった形に似ている」という飛躍がここに入る。もっとも言語化されにくく、もっとも個人差が大きい。

三つは独立している。視点が同じでも視座が違えば結論は割れる。視座が同じでも着想が違えば、指摘の深さが変わる。三つを混ぜて「ばらつき」と呼んできたから、対処が一律になった。基準書を厚くすることは視点をそろえるには効くが、視座には効かない。着想にはほとんど効かない。効かないところに効かない手を打ち続けて、効果が出ないと嘆いてきた。

分けて見ると、やるべきことも分かれる。視点は共有できる。視座は宣言できる。着想は、記録して集めるしかない。

04言語化とロジック化は、同じではない

ここが今日いちばん書きたいところだ。

言語化は、自分の中にある判断を外に出すことだ。「なんとなく引っかかる」を「見出しが効果の強さを言い切っている点が引っかかる」に変える作業。これだけでも大きい。だが、これはまだ個人の中で閉じている。他の人が同じ資材を見て同じところに行き着くとは限らないからだ。

ロジック化は、その一段先にある。他人が再現できる形にすること。何を見て、どこから見て、どの前提と照らして、どういう筋道でその結論に至ったか。前提と手順が書かれていれば、他人はそれをたどれる。たどった上で、「その前提は今回は当てはまらない」と反論できる。反論できる形になって初めて、判断は共有物になる

見るところ言語化までロジック化まで
出てくるもの結論と、その人なりの理由前提・視座・照合先・筋道
他人にできること納得するか、しないかたどる・検証する・反論する
次の案件への持ち越しその人の経験として残る条件付きの規則として残る
集合知になるかならない。数が増えるだけなる。噛み合う土台ができる

ポランニーは、人は語れる以上のことを知っている、と書いた。熟練した審査者の判断の多くは、まさにその語れない側にある。野中郁次郎と竹内弘高は、その語れない知が対話と共同作業を通じて形になり、組織の知として回りはじめる過程を描いた。私たちの現場でいえば、指摘の理由を書き残すことは、その回転の最初の一漕ぎにあたる。

ただし、一漕ぎで終わることが多い。理由欄に「文脈上不適切」とだけ書かれた記録は、言語化ではあるがロジック化ではない。読んだ人は、その人が不適切と感じたことは分かるが、次に似た資材が来たときに何をすればよいかは分からない。私自身、忙しい日にはそう書いてきた。

05集合知は、多数決ではない

ばらつきを集めれば賢くなる、という話ではない。ここを甘く見ると、集めた結果として鈍くなる。

スロウィッキーは、集団が個人より正確になるための条件を挙げた。意見の多様性、各人の独立性、知識の分散、そして意見を束ねる仕組み。四つのうちどれかが欠けると、集団は個人より悪くなる。とくに独立性が崩れたとき、悪化の仕方が速い。

アッシュの実験は、明らかに違う線の長さについてさえ、周囲が違う答えを言うと人は答えを変えることを示した。審査会議で、経験の長い人が先に意見を述べたあとに、若い審査者が同じ結論を言う。これは同意ではなく、同調かもしれない。同調が混じった一致は、根拠のない安心を生む。

ペイジは、多様性が能力を上回る条件を数理的に示した。誤りの方向が人によって違えば、束ねたときに誤りが打ち消し合う。逆に、全員が同じ方向に間違えるなら、何人集めても誤りは減らない。同じ研修を受け、同じ基準書を読み、同じ先輩に指導された審査者ばかりの組織は、まさにこの後者に近づいていく。均一化は、誤りを打ち消す力を組織から抜いていく

だから、ばらつきを個性として扱うと決めた瞬間に、同時に設計しなければならないものがある。独立して判断する時間を先に取ること、束ねる手順を決めておくこと、そして誰がどの視座から見たかを記録に残すこと。この三つがないまま「多様性は大事だ」と言うのは、条件を外して結論だけを借りることになる。

06審査 AI 1.0 と、2.0 の違い

この数年、資材審査を支える道具はずいぶん増えた。だが、いま動いているものの大半は、私の見るかぎり同じ設計思想の上にある。規則との照合だ。禁止表現の一覧と突き合わせ、承認された効能効果の記載と突き合わせ、引用元の数値と突き合わせる。速く、疲れず、抜けにくい。1.0 と呼ぶ。

1.0 は、視点をそろえる道具である。何を見るかについては、人よりずっと安定している。だが視座を持たない。どこから見るかを問われても、規則の側からしか見られない。着想はさらに遠い。「以前の別領域の事例に形が似ている」という飛躍は、照合の枠の外にある。

審査 AI 1.0 ── 規則との照合

一つの正解の集合を持ち、資材をそれに突き合わせる。出力は合否と根拠条項。速さと網羅性で人を上回る。ただし、規則に書かれていない領域では沈黙する。ばらつきは、この設計では取り除くべき雑音である。

審査 AI 2.0 ── 複数の視座の同時適用

言語化とロジック化を済ませた複数の審査者の判断の筋道を、それぞれ独立した見方として保持する。一つの資材に対して、当局の側から、処方する医師の側から、説明会の場から、同時に読ませる。出力は一つの合否ではなく、視座ごとの懸念と、その理由と、どこで意見が割れたかである。

2.0 で重要なのは、割れたところを隠さないことだ。1.0 は割れないから安心に見える。2.0 は割れるから不安に見える。だが実際に危ないのは、割れていることに気づかないまま一つの答えが出てくる状態のほうだ。割れ目は、そこに判断が必要だという印である。印が出れば、人はそこに時間を使える。

見るところ審査 AI 1.0審査 AI 2.0
ばらつきの扱い取り除く雑音保持する情報
入力になる知規則・禁止表現・承認事項それに加えて、個々の審査者の判断の筋道
出力の形一つの合否と根拠視座ごとの見え方と、割れた箇所
人がやること結果を確かめる割れ目に判断を置き、その理由をまた戻す

テトロックらは、予測の精度が高い人たちの共通点として、判断を細かく分解し、理由を記録し、外れたときにどの前提が間違っていたかまで戻ることを挙げた。2.0 が動くとしたら、この作法の上でしか動かない。道具が先にあるのではない。理由を書き残す習慣が先にあって、その蓄積が道具になる。

07個性は、消えるのか

ここを逃げずに書く。個々の判断が集められ、筋道が形式になり、誰でもたどれるようになったとき、その判断をした人は要らなくなるのではないか。自分の見方を差し出すことは、自分の居場所を差し出すことではないのか。

私はしばらく、この問いに答えられなかった。答えられないまま、記録だけは書いてきた。いま思うことを書く。

形式になるのは、過去の判断だけだ。ある資材を、ある視座から、ある前提のもとで見たときの筋道。それは確かに他人がたどれる形になる。だが、次に来る資材に対して新しい視座を思いつくことは形式化されない。着想は、既存の形式の外側で起きるから着想なのだ。形式が増えるほど、形式の外側は広がる。

ショーンは、熟練者が仕事の最中に自分のやり方そのものを組み替えていく働きを描いた。手順を実行しているのではなく、実行しながら手順を疑っている。この働きは、書き出された手順の中には入らない。手順を書き出した人の中に残る。

だから、個人は消えない。ただし残り方は変わる。「この判断ができる人」から、「この視座を提供できる人」へ。前者は代替される。後者は、代替されるたびに次の視座を出すことで残る。差し出したものが形式になり、自分は形式の外側に移る。移り続けることが、その人の個性の形になる。

これは、楽な話ではない。一度身につけた判断を手放し続けることになるからだ。だが手放さなければ、その判断は自分の中で古びていくだけで、誰にも届かない。

結語

あの日の三つの指摘は、いまも記録に残っている。どれが正しかったかは書いていない。三人が何を見て、どこから見て、何と結びつけたかが書いてある。半年後、似た構成の資材が来たとき、その記録を開いた別の審査者が、四つ目の見方を足した。

ばらつきは、均されるべき誤差ではなかった。言語化され、ロジック化され、独立性を保ったまま束ねられたとき、それは個性になった。個性が積み重なって、次の人が立てる足場になった。

一人のレビューが、Team の集合知によるレビューになる。そのとき審査は、一人の目の精度を上げる仕事から、複数の見え方を同時に扱う仕事に変わる。私はそこを、資材審査 AI 2.0 の始まりだと考えている。始まりに必要なのは新しい道具ではなく、今日の指摘に理由を書き足すことだ。

Key Points ── 持ち帰る 3 つ
  1. 「ばらつき」は、視点・視座・着想という性質の違う三つを飲み込んだ言葉だ。分けずに均すと、誤りと一緒に組織の見え方の幅まで消える。基準書は視点には効くが、視座と着想には効かない。
  2. 言語化は判断を外に出すこと、ロジック化は他人が再現し反論できる形にすること。前者で止まると数が増えるだけで、集合知にはならない。理由欄に結論だけを書いた記録は、次の人の足場にならない。
  3. 集合知には条件がある。多様性・独立性・分散・束ねる仕組み。とくに独立性が崩れると集団は個人より悪くなる。ばらつきを個性として扱うと決めるなら、独立して判断する時間と束ねる手順を同時に設計する。
出典·参考文献
  1. Daniel Kahneman, Olivier Sibony, Cass R. Sunstein. Noise: A Flaw in Human Judgment. Little, Brown Spark, 2021.(同一事案に対する専門家の判断の散らばりと、それを組織が測定していないことの問題)
  2. James Surowiecki. The Wisdom of Crowds. Doubleday, 2004.(集団が個人より正確になるための条件として、多様性・独立性・知識の分散・集約の仕組みを挙げた)
  3. Scott E. Page. The Difference: How the Power of Diversity Creates Better Groups, Firms, Schools, and Societies. Princeton University Press, 2007.(誤りの方向が異なるとき、多様性が個々の能力を上回りうることの数理的な議論)
  4. Solomon E. Asch. "Opinions and Social Pressure." Scientific American, vol. 193, no. 5, 1955.(明白な事実についてさえ、周囲の一致した回答が個人の判断を変える同調の実験)
  5. Michael Polanyi. The Tacit Dimension. Routledge & Kegan Paul, 1966.(人は語れる以上のことを知っている、という暗黙知の議論)
  6. 野中郁次郎・竹内弘高. The Knowledge-Creating Company. Oxford University Press, 1995.(暗黙知と形式知の相互変換を通じて組織の知が生まれる過程の理論)
  7. Cass R. Sunstein, Reid Hastie. Wiser: Getting Beyond Groupthink to Make Groups Smarter. Harvard Business Review Press, 2015.(集団が個人より悪い判断に至る条件と、それを避ける議論の設計)
  8. Philip E. Tetlock, Dan Gardner. Superforecasting: The Art and Science of Prediction. Crown, 2015.(判断を分解して理由を記録し、外れたときに前提まで戻る作法が精度を上げるという知見)
  9. Donald A. Schön. The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action. Basic Books, 1983.(熟練者が実行しながら自らの手順を組み替える働きについての記述)
  10. 医薬品等適正広告基準. 厚生労働省.(資材審査における判断の根拠と記録の実務的な基盤)