
「腹が立つ」と口に出したとたん、あるいは AI の対話欄に打ち込んだとたん、怒りが少し引いていることがある。感情を言葉にした瞬間に、なぜその感情は少し変わるのか。感情に合う語を選ぶ作業が、脳の中で、恐れや怒りに反応する扁桃体の働きを下げるからである。名付けの効き目は、本人が効くと思っていなくても現れる。使った感情の語が多いほど、恐怖の反応の下がり方は大きい。
01名前を付けると扁桃体の反応が下がり、本人の実感が変わらなくても体が変わる
感情に名前を付けると反応が下がることは、脳の画像と体の測定の両方で確かめられている。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の心理学者 Matthew Lieberman らは、2007 年に実験の結果を発表した。参加者は、怒りや恐れの表情の写真を見ながら、その表情に合う感情の語を選んだ。このとき、脳の扁桃体の反応が下がった。扁桃体は、脅威や不快な刺激に強く反応する部位である。Lieberman らは、脳の活動を fMRI という装置で測った。
2012 年には、同じく UCLA の Katharina Kircanski らが、クモを怖がる人を対象に研究を発表した。クモに近づきながら自分の感情を言葉にした人は、1 週間後、汗の出方が少なかった。研究者は汗の出方を、皮膚電気反応という値で測った。ところが、本人が答えた恐怖の強さは、ほかのやり方を試した人たちと変わらなかった。体の反応は変わったが、本人の実感は変わらなかった。
AI に気持ちを打ち明ける場合にも同じことが起きるのか。そこはまだ測られていない。OpenAI と MIT Media Lab が 2025 年に公表した研究では、対話 AI を自分から多く使った人ほど、孤独感などの結果が悪かった。名付けの研究で効き目が確かめられたのは、本人が語を選ぶ作業である。私の結論は二つある。感情は、自分で語を選んで書き出すとよい。AI を相手にしたときの効き目は、名付けの研究とは分けて考える。
02効いたのは、表情に合う感情の語を自分で選ぶ作業だった
感情に名前を付けると扁桃体の反応が下がる。では、実験の参加者は具体的に何をしたときに、反応が下がったのか。
Lieberman らの実験で、参加者は二種類の課題を行った。一つ目の課題では、表情の写真の下に感情の語が二つ並び、参加者は表情に合うほうを選んだ。たとえば「怒り」と「恐れ」から一つを選ぶ。二つ目の課題では、写真の下に人の名前が二つ並び、参加者は表情の人の性別に合う名前を選んだ。
扁桃体の反応が下がったのは、感情の語を選んだときだった。性別に合う名前を選んだときには、同じ写真を見ていても、反応は同じようには下がらなかった。研究者たちは、感情に合う語を選ぶこの作業を affect labeling と呼んだ。日本語にすれば「感情の名付け」になる。
感情の名付けは、ほかの気持ちの整え方とは別の作業である。名付けと、名付けと混同しやすい二つの作業を並べておく。
名付け
名付けでは、いま感じている感情に合う語を選ぶ。感じ方を変えようとはしない。
再評価
再評価では、出来事の受け取り方を意図して変える。本人も効くと予想している。
気をそらす
気をそらすときは、別のことに注意を向ける。Kircanski らは、気をそらす人たちを、名付けをする人たちと比べる群の一つにした。
名付けをする人は、「怒らないでおこう」とは考えていない。参加者がしたのは、写真の表情にいちばん合う語を一つ選ぶことだけだった。
03確かめられた場は実験室と恐怖症の治療で、職場の審査では測られていない
扁桃体の反応を下げたのは、参加者が感情の語を自分で選ぶ作業だった。では、名付けの効き目は、どんな場面で、誰について確かめられたのか。
名付けの効果が測られた場面は、主に二つある。一つは、写真を見る実験室である。もう一つは、クモを怖がる人が少しずつクモに近づく治療の場である。この治療を曝露療法と呼ぶ。
Kircanski らの研究では、参加者は四つの群に分けられた。感情を言葉にする群、出来事の受け取り方を変える群、気をそらす群、何もしないでクモに近づく群である。1 週間後、研究者は参加者を別の部屋に連れて行き、別のクモで試した。部屋とクモが変わっても、感情を言葉にした群では、汗の出方を示す皮膚電気反応が低かった。名付けの効き目は、別の部屋の別のクモにも及んでいた。
測られていない場面もある。差し戻された書類を前に腹を立てる、といった職場の場面がその一つである。職場の審査の場面で名付けの効果を測った研究は、この記事が当たった資料の中には無かった。実験室と治療で確かめられた効き目が職場でも同じ大きさで出るかは、分からない。
04語を選ぶと前頭前野が働き、そのとき扁桃体は静まる
名付けの効き目は、実験室でも治療の場でも確かめられた。では、語を一つ選ぶだけで、なぜ扁桃体の反応が下がるのか。Lieberman らは、脳の別の部位に手がかりを見つけた。
参加者が感情の語を選ぶと、右の腹外側前頭前野という部位の活動が上がった。前頭前野は、額の奥にある、考えや判断に関わる部位である。右の腹外側前頭前野の活動が高い人ほど、扁桃体の活動は低かった。この二つの部位は、内側前頭前野という第三の部位を通して結び付いていた。
ここで一つ注意がいる。Lieberman らが見つけたのは、一方の部位が活発なとき、もう一方が静かだという関係である。前頭前野が扁桃体を抑えたと証明したわけではない。
名付けには、本人の予想に反して効くという特徴もある。Lieberman と Jared Torre は 2018 年の論文で、研究の結果をまとめた。人は名付けをする前、名付けると苦痛が増えると予想していた。ところが実際には、名付けた後に苦痛は減っていた。
二人は、名付けを、本人が意図しなくても働く感情の調整だと位置づけた。再評価なら、人は「受け取り方を変えて楽になろう」と考えて行う。名付けをする人は、楽になろうとは考えていない。それでも、反応は下がる。
054日間15分ずつ書いた学生は、その後の6か月で病気の申告が減った
感情の語を選ぶ作業は、本人が意図しなくても体の反応を下げる。では、どれだけ書き、どれだけ語を使ったとき、どんな結果が出たのか。数えられる実験が二つある。
心理学者の James Pennebaker と Sandra Beall は、1986 年に筆記の実験を発表した。大学生が 4 日間、1 日 15 分ずつ文章を書いた。ある群は、自分が経験したつらい出来事を書いた。別の群は、当たり障りのない話題を書いた。
つらい出来事を書いた学生は、書いた日々には気分が悪くなり、血圧も上がった。一方で、その後の 6 か月では、病気になったという自己申告が減っていた。
Kircanski らの研究でも、使った語の数と効き目の大きさが関係していた。クモに近づくあいだに不安や恐れの語を多く使った人ほど、恐怖の反応が大きく下がっていた。三つの研究を並べると次のようになる。
| 見るところ | Lieberman ら 2007 | Kircanski ら 2012 | Pennebaker と Beall 1986 |
|---|---|---|---|
| 手続 | 表情の写真に感情の語を選ぶ | クモへの曝露中に感情を言葉にする | 4日間、1日15分つらい出来事を書く |
| 測ったもの | 扁桃体の活動(fMRI) | 皮膚電気反応と自己申告の恐怖 | 気分・血圧・その後の病気の自己申告 |
| 結果 | 扁桃体の反応が下がった | 1週間後の皮膚電気反応が下がり、自己申告は変わらず | 直後は悪化し、その後の病気の申告が減った |
三つの研究に共通するのは、本人が感情を言葉にしたことである。違うのは、効き目を測った時点だった。扁桃体はその場で反応を下げた。皮膚電気反応は 1 週間後に低かった。筆記の効き目は、その後 6 か月の病気の申告に現れた。
06細かい語が効き、書いた直後は悪くなり、AI相手の効き目はまだ測られていない
感情の語を多く使った人ほど、反応は大きく下がった。ここまでの研究から、名付けを自分で使うときに知っておくとよいことが三つ出てくる。
一つ目に、細かい語ほど役に立つ。心理学者の Todd Kashdan、Lisa Feldman Barrett、Patrick McKnight は、2015 年の論文で研究をまとめた。感情を細かく言い分けられる人は、強い苦痛を感じたときに、過度の飲酒や攻撃、自傷に走りにくかった。「嫌だ」で止めずに、悔しいのか、心配なのか、恥ずかしいのかまで分けて書く。ただし Kashdan らが比べたのは言い分けの得手不得手であり、分けて書く練習の効果は、この記事が当たった資料では測られていない。
二つ目に、書いた直後はつらくなる。Pennebaker と Beall の実験で、つらい出来事を書いた学生は、書いた日々に気分が悪くなった。それでも 6 か月のあいだに、病気の自己申告は減った。書いた直後に気分が沈んでも、それは実験の学生にも起きたことである。書き方を誤った印として読まなくてよい。
三つ目に、AI を相手にしたときの効き目は、まだ測られていない。MIT Media Lab と OpenAI は、981 人を 4 週間追う試験を行った。参加者は、割り当てられた条件に関係なく、自分から対話 AI を多く使った人ほど、孤独感などの結果が悪かった。この試験は、名付けの効果を測るための試験ではなかった。
AI に気持ちを打ち明けることと、自分で語を選んで書くことは、同じ作業とは限らない。AI が「それは悔しさですね」と語を差し出したとき、本人は複数の語から選んではいない。差し出された一語が合うかを判断するだけのこともある。名付けの研究が測ったのは、本人が語を選ぶ作業のほうだった。
07AIが語を差し出すとき、選ぶ作業が残るかはまだ確かめられていない
AI を相手にしたときの名付けの効き目は、まだ測られていない。では、AI との対話が広がるこの先、何が起こりうるのか。何を確かめる必要があるのか。
OpenAI は 2025 年の研究で、ChatGPT の約 4,000 万件の対話を自動で分析した。それでも OpenAI 自身は、この研究を、感情的な使われ方を調べる「初期の方法」と呼んでいる。OpenAI 自身の位置づけでは、AI との対話が心にどう働くかを測る方法は、まだ固まっていない。
確かめられたこと
4週間・981人の試験で、自分から多く使った人ほど孤独感などの結果が悪かった。
研究者自身の位置づけ
OpenAI は約 4,000 万件の対話を分析した研究を、初期の方法と呼んでいる。
確かめられていないこと
AI が差し出した語を受け取るだけで、自分で選ぶときと同じ効果が出るか。
名付けの研究が示したのは、本人が語を選ぶ作業の効き目である。AI が語を差し出し、本人がそれを受け取るだけの場合と比べた研究は、この記事が当たった資料には無かった。AI の差し出す語が効かない、とは言えない。効く、とも言えない。比べた研究が無いからである。
私は、AI に気持ちを打ち明けること自体を止めるべきだとは考えていない。考えているのは、手順の順番である。まず自分で、いまの感情に合う語を一つ選んで書く。AI に話すのは、その後でよい。そうすれば、研究で確かめられた作業だけは、自分で済ませたことになる。
- 感情を細かく言い分ける人ほど、強い苦痛のあとに過度の飲酒や攻撃に走りにくい。「嫌だ」で止めず、悔しい・心配だ・恥ずかしいまで分けて書く。
- つらい出来事を 4 日間書いた学生は、書いた日々に気分と血圧が悪化したが、その後の 6 か月で病気の自己申告が減った。書いた直後のつらさを失敗の印と読まない。
- AI との対話では、自分から多く使った人ほど孤独感などの結果が悪く、名付けの効果がそこで働くかは測られていない。語を選ぶ作業は自分で行う。
感情を言葉にした瞬間に感情が少し変わるのは、合う語を選ぶ作業が、扁桃体の反応を下げるからである。そのとき前頭前野の活動は上がり、扁桃体の反応と逆向きに動く。名付けの効き目は本人が効くと思っていなくても現れ、使う語が多いほど大きい。
AI が語を差し出してくれる時代になった。確かめるべきなのは、語を選ぶ作業を、まだ自分でしているかどうかである。腹が立ったら、まず自分で一語を選ぶ。悔しいのか、心配なのか、恥ずかしいのか。選んだ語を書き留めてから、AI に話せばよい。
- M. D. Lieberman, N. I. Eisenberger, M. J. Crockett, S. M. Tom, J. H. Pfeifer, B. M. Way. Putting Feelings Into Words: Affect Labeling Disrupts Amygdala Activity in Response to Affective Stimuli. Psychological Science 18(5), 2007.(感情の語を選ぶと扁桃体の反応が下がること、右腹外側前頭前野との逆向きの関係と内側前頭前野の仲立ち)
- K. Kircanski, M. D. Lieberman, M. G. Craske. Feelings Into Words: Contributions of Language to Exposure Therapy. Psychological Science 23(10), 2012.(クモへの曝露中の名付け、1 週間後の皮膚電気反応、自己申告の恐怖は群で変わらないこと、不安と恐れの語の量と反応の低下)
- J. B. Torre, M. D. Lieberman. Putting Feelings Into Words: Affect Labeling as Implicit Emotion Regulation. Emotion Review 10(2), 2018.(名付けが意図を要しない感情の調整であること、本人の予想との食い違い)
- J. W. Pennebaker, S. K. Beall. Confronting a Traumatic Event: Toward an Understanding of Inhibition and Disease. Journal of Abnormal Psychology 95(3), 1986.(4 日間 1 日 15 分の筆記、書いた日々の気分と血圧の悪化、その後 6 か月の病気の自己申告の減少。Wise Interventions の要約で確認)
- T. B. Kashdan, L. F. Barrett, P. E. McKnight. Unpacking Emotion Differentiation: Transforming Unpleasant Experience by Perceiving Distinctions in Negativity. Current Directions in Psychological Science 24(1), 2015.(感情を細かく言い分ける人ほど、過度の飲酒・攻撃・自傷に走りにくいこと)
- OpenAI. Early methods for studying affective use and emotional well-being on ChatGPT. 2025-03-21.(約 4,000 万件の対話の自動分析と、研究を初期の方法と位置づけていること)
- C. M. Fang ほか(MIT Media Lab と OpenAI). How AI and Human Behaviors Shape Psychosocial Effects of Extended Chatbot Use: A Longitudinal Randomized Controlled Study. arXiv:2503.17473, 2025.(4 週間・981 人の無作為化試験、自分から多く使った人ほど結果が悪かったこと)
