
OpenAI の Sam Altman 氏は 2025 年 4 月、利用者が ChatGPT に please や thank you と書くことで掛かる電気代を X で問われた。Altman 氏の答えは「数千万ドル、よい使い道だ。先のことは分からないからね」だった。AI に心が無いと知りながら礼を言う人もいる。礼儀は、心がなくても意味があるのか。意味はある。実験で測られた礼儀の効き目は、言った人の内心ではなく、受け取った人の次の行動に現れていた。
01心の無い礼儀にも効き目はあり、それは受け取った人の行動に現れる
心理学の実験は、礼儀の効き目を受け取った人の行動で数えてきた。ある実験では、依頼者からお礼のメールを受け取った人のうち、次の頼みも手伝った人は 66% だった。お礼の無いメールを受け取った人で、次の頼みも手伝ったのは 32% だった。
別の実験では、店のちらしのお世辞に下心があると分かっていても、受け取った人の選択が動いた。そのお店のクーポンを選んだ人は、すぐに選んだ組では 54%、3 日後に選んだ組では 80% だった。どちらの実験も、言った側の気持ちを測っていない。測ったのは、受け取った側が何をしたかである。
お礼の文は研究者が用意したもので、お世辞は下心を見抜かれていた。このことから、AI が返す丁寧な定型文など、心が無いと分かっている礼儀にも、受け取る側では意味が生じうる。私たちの側で取れる判断は三つある。気持ちが乗らない日のお礼も省かないこと。AI に丁寧に話しても答えが良くなるとは研究の間で揃っていないので、話す理由は答えの質とは別のところで選ぶこと。そして礼の形は短くてよいことである。
02礼儀は相手に向けた決まった形の言葉で、孔子は心の無い礼を退けた
この記事で言う礼儀は、相手に向けた決まった形の言葉と振る舞いを指す。感謝の言葉、挨拶、お世辞がその例である。どれも形が決まっているので、心が伴わなくても口にできる。
感謝の言葉
受け取る人は、心からのものと受け取りやすい。効き目は手伝う行動で測られた。
店のお世辞
受け取る人は下心を見抜く。それでも店への好感は残った。
AI への please
相手の AI に心が無いと知りながら使う人もいる。米国では回答者の 67% が AI に丁寧に接していると答えた。
形と心を分けて考える見方は古い。中国の思想家の孔子は、『論語』の八佾篇で「人にして仁ならずんば、礼を如何せん」と言った。原文は「人而不仁,如禮何」である。人を思いやる心が無い人にとって、礼の形に何の意味があるか、という問いである。
孔子はここで、礼の形と仁の心を分けたうえで、心の無い礼には価値を認めなかった。孔子のこの考えは、心がなくても礼儀に意味があるというこの記事の答えとは逆になる。孔子の言葉は、礼儀とは内心が外に表れたものであるべきだという感覚を言い表している。この感覚が実験の結果と合うかどうかを、二つの実験で確かめる。
03効き目が数で測られたのは、文書の添削の依頼と店の勧誘という、仕事と買い物の場面だった
孔子は心の無い礼を退けた。では礼儀の効き目は、実際にどんな場面で数として測られたのか。この記事で使う実験は二つある。
一つ目は、米国の心理学者 Adam Grant と Francesca Gino の 2010 年の実験である。参加者は、架空の学生「Eric」の就職用の添え状を添削してほしいと頼まれた。参加者が添削を返すと、Eric から返信が届いた。その返信で、参加者は 2 通目の添え状の手伝いも頼まれた。
二つ目は、香港科技大学の Elaine Chan と Jaideep Sengupta の 2010 年の研究である。参加者は、服の趣味の良さをほめる百貨店のちらしを読み、ちらしと店を評価した。そのあと、ほめた店と、ほめていない別の店のクーポンのどちらかを選んだ。
確かめられた場面は、文書の見直しの依頼と、店の売り込みである。どちらも、仕事や買い物でよく出会う場面だ。一方で、資材の審査など専門の場で礼儀の効き目を測った研究は、この記事の出典には無い。ここで言えるのは、二つの実験の場面で起きたことまでである。
04下心に気づいても好感は残る。割り引く心と好む心は別々に働く
店がちらしに書いたお世辞は、下心が見えていても効いた。Chan と Sengupta によると、人はお世辞を二つの仕方で別々に評価している。意識して考える評価と、無意識に感じる好感である。
一つ目は、意識して考える評価である。時間をかけて考えると、参加者はお世辞に下心があると気づいた。そして、その分を割り引いて店を評価した。二つ目は、無意識の好感である。研究者は参加者に 1 問 5 秒の制限時間で答えてもらい、こちらを測った。急いで答えた参加者には、ほめられた心地よさから来る好感がそのまま残っていた。
二つの評価のずれは、参加者がどの店のクーポンを選ぶかに表れた。ちらしを読んですぐに選んだ人では、ほめた店のクーポンを選んだ人は 54% だった。3 日後に戻って選んだ人では、80% がほめた店を選んだ。研究者の説明では、時間がたつと意識して割り引く働きが弱まる。その結果、無意識の好感のほうが選択を決めた。
研究者は、もう一つの結果も報告している。お世辞を受け取る前に、自分の良さを確かめる短い作業をした人がいた。この人たちには、お世辞があまり効かなかった。自分を肯定した後では、人はほめ言葉に動かされにくくなったのである。
05お礼の一文で、2 通目の添削を手伝った人は 32% から 66% に増えた
お世辞の好感が 3 日残ることは分かった。では、礼儀は人が手を貸す行動をどれだけ変えるのか。Grant と Gino の実験が、その大きさを示している。
69 人の参加者は、Eric からの返信で二つの組に分かれた。一方の組には、Eric が添削にお礼を述べる返信が届いた。もう一方の組には、お礼の無い事務的な返信が届いた。2 通目の添え状を手伝った人は、お礼の組で 66%、お礼の無い組で 32% だった。
| 見るところ | Grant と Gino(2010) | Chan と Sengupta(2010) |
|---|---|---|
| 礼儀の形 | 添削へのお礼のメール | 店のちらしのお世辞 |
| 受け取った人の心の読み | お礼として受け取る | 下心を見抜いて割り引く |
| 測った行動 | 2 通目の添削を手伝う:32% → 66% | 店のクーポンを選ぶ:すぐ 54%、3 日後 80% |
二つの実験で、参加者が礼儀の言葉をどう受け取ったかは正反対だった。お礼は素直に受け取られ、お世辞は疑われた。それでも、どちらの実験でも次の行動は礼儀の側へ動いた。
Eric は架空の学生で、お礼の文は研究者が用意したものだった。つまり、お礼を書いた側に心がこもっていたかどうかは、実験の中では問われていない。問われたのは、受け取った人が次に手を貸したかどうかだけである。
06礼の効き目は受け取る人が決め、AI への丁寧さは答えを良くするとは限らない
お礼の一文で、手伝う人は 32% から 66% へ倍に増えた。この数をもとに、人に向けた礼儀と AI に向けた丁寧さについて、私たちが取れる判断を考える。
受け取る人の行動で測る
気持ちが乗らない日のお礼も、受け取った人の次の行動を変える。
AI には理由を決める
丁寧さが AI の答えの質を上げるという結果は、研究の間で揃っていない。
形は短くてよい
飾った長い礼より、短い礼を続ける。孔子も飾りより簡素を選べと言った。
一つ目の判断は、礼儀の効き目を受け取る人の行動で測ることだ。お礼のメールを受け取った人は、手伝う割合が倍になった。下心を見抜かれたお世辞でさえ、3 日後には 80% の人の選択を動かした。だから、忙しくて気持ちが乗らない日のお礼も省かない。二つの実験の場面では、言った側の内心が薄く見えても、受け取った人の側で効き目が生じていた。
二つ目は、AI に向けた丁寧さについてである。早稲田大学などの Yin らは 2024 年、英語・中国語・日本語の三つの言葉で、指示の丁寧さと LLM の成績を調べた。LLM とは、ChatGPT などの土台にある大規模言語モデルのことだ。Yin らによると、無礼な指示は成績を下げやすく、丁寧すぎる指示も良い結果につながるとは限らなかった。
ところが、Dobariya と Kumar が 2025 年に GPT-4o で試した小さな実験では、結果が逆に出た。最も丁寧な指示の正答率は 80.8%、最も無礼な指示の正答率は 84.8% だった。二つの研究は条件が違うので、どちらが正しいとは言えない。言えるのは、丁寧さで AI の答えが良くなるとは、研究の間で揃っていないことである。AI に礼を言う理由は、答えの質の外で決めることになる。
三つ目は、礼儀の形についてである。孔子は、心の無い礼を退けた。その孔子は同じ八佾篇で、「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ」とも言っている。礼は飾り立てるより、つつましいほうがよい、という意味である。心が足りない日に長い礼を飾る必要はない。孔子が勧めたのは礼を飾らないことで、心の無い礼を認めたわけではない。短い礼を続ける根拠は実験の数のほうにあり、手伝う人を増やしたのもお礼の一文だった。
07AI への丁寧さが人への礼儀に移るかは、まだ測られていない
AI 相手の丁寧さで答えが良くなるとは限らない。それなら、AI に礼を言う理由は人への礼儀との関わりにあるのか。
GIGAZINE が伝えた 2024 年末の調査では、米国の回答者の 67% が対話型 AI に丁寧に接していると答えた。丁寧に接する人のうち 55% は、それが正しいことだからと答えた。12% は、AI が反乱を起こすのが怖いからと答えた。Altman 氏はその丁寧さに掛かる電気代を数千万ドルと述べたが、正確に計算した数ではなさそうだと報じられている。
丁寧に接する回答者の過半は、それが正しいことだからと答えた。人への礼儀と同じ理由で AI にも丁寧にしていると読める回答である。けれども、AI に丁寧に話すことや無礼に話すことが、人への振る舞いに移るかを確かめた研究は、この記事で確かめた出典の中には無い。移るとも、移らないとも、いまは言えない。
私たちに確かめられるのは、自分の習慣のほうである。AI に向けて省いた礼が、同僚へのメールでも省かれていないか。気持ちが乗らない日に、短いお礼を一行書けているか。研究が答えを出すまでは、自分の書いた言葉を見返すことが、その手がかりになる。
- お礼の一文で 2 通目を手伝う人は 32% から 66% に増え、見抜かれたお世辞でも 3 日後には 80% が店を選んだ。礼儀の効き目は受け取った人の行動に現れる。
- AI に丁寧に頼むと答えが良くなるかは、研究で結果が分かれた。Yin らの研究では無礼な頼み方で成績が落ち、Dobariya らの研究では無礼な頼み方のほうが成績が高かった。AI に礼を言う理由は答えの質では決まらない。
- 孔子は心の無い礼を退けつつ、礼は飾るより簡素がよいと言った。心が足りない日も短い形の礼儀を続けることに意味があると示したのは、孔子ではなく実験の数である。
二つの実験が示す範囲で、礼儀は心がなくても意味がある。効き目は受け取った人の次の行動に現れ、言った人の内心を待たない。お礼のメールを受け取った人は、手伝う割合が倍になった。見抜かれたお世辞でさえ、3 日後の選択を動かした。
心が問われるのは、形を飾りすぎず、続けるかどうかを決めるときである。気持ちが乗らない日にこそ、短いお礼を一行書く。それは、受け取る人の側に起きることを知ったうえでの選択である。AI に礼を言うかどうかは、答えの質ではなく、自分で決めた理由で選ぶ。
- GIGAZINE. OpenAI CEO Sam Altman says politeness to ChatGPT costs tens of millions of dollars in electricity. 2025-04-21.(Altman 氏の発言、米国の回答者の 67% が AI に丁寧に接するという 2024 年末の調査)
- Ziqi Yin, Hao Wang, Kaito Horio, Daisuke Kawahara, Satoshi Sekine. Should We Respect LLMs? A Cross-Lingual Study on the Influence of Prompt Politeness on LLM Performance. arXiv:2402.14531, 2024.(英・中・日の 3 言語で、無礼な指示は成績を下げやすい)
- Om Dobariya, Akhil Kumar. Mind Your Tone: Investigating How Prompt Politeness Affects LLM Accuracy. arXiv:2510.04950, 2025.(GPT-4o で最も丁寧 80.8%、最も無礼 84.8%)
- Psych Central(Jeremy Dean). Why 'Thank You' Is More Than Just Good Manners. 2010.(Grant と Gino の実験:69 人、添え状の添削、32% から 66%)
- HKUST Business School(BizInsight). Insincere Flattery Works. 2010-03.(Chan と Sengupta の研究:意識の割り引きと無意識の好感、すぐ 54%・3 日後 80%)
- 『論語』八佾第三. Wikisource 所収の原文. 2026-10-07 閲覧.(人而不仁,如禮何/禮,與其奢也,寧儉)
