01手本を指したのに、AI は別のものを作り直した
2026 年 9 月、運営者はあるサイトで、前日分の解説動画の見た目に不満を持った。同じサイトには、図・表・流れ図・段落の組み方がよくできた回が三つあった。運営者はその三つを手本に挙げ、前日分のデザインをやり直すよう AI に頼んだ。
AI は作業を終え、作り直して公開したと報告した。サイト全体の検査にも通ったと書き添えていた。ところが作り直されていたのは、動画を埋め込んだ紹介ページの並びと目次だった。動画の画面そのものは変わっていなかった。
運営者は、図形や表や文字の配置が良くないので最初から作り直すよう、もう一度求めた。それでも伝わらず、三度目に、手本の回にある表や図を動画の中に入れてほしいのだと言い直した。ここで初めて、直す対象が動画の画面だと AI に届いた。
この回で確かめたいのは二つである。手本を指すという頼み方は、理想を伝える方法として正しかったのか。正しかったなら、なぜ二度もやり直しになったのか。
02手本を指すことは正しく、欠けていたのは対象の確認だった
「図表のセンスが良い状態」を言葉だけで説明するのは難しい。線の太さ、色の数、表の列の並べ方、見出しと本文の間隔。挙げればきりがなく、挙げきっても受け手の頭に同じ像ができる保証はない。良い実物を指せば、その全部を一度に渡せる。
だから、運営者が手本を挙げたこと自体は正しい手だった。うまくいかなかったのは、依頼に含まれる三つの要素のうち、一つ目の「どれを直すのか」が AI の側で別のものに置き換わったことである。
| 見るところ | 言葉で理想を説明する | 手本を指す |
|---|---|---|
| 渡せる情報の量 | 書いた項目だけ | 手本が持つ形のすべて |
| 書き手の手間 | 項目を洗い出して書く | 手本の場所を示す |
| ずれが出やすい所 | 書き漏らした項目 | 直す対象と、移す性質の範囲 |
| 防ぎ方 | 項目を足す | 対象と移す性質を分けて書き、復唱させる |
03対象を取り違えると、検査に通っても作業の全部がやり直しになる
手本の読み方が少し違うだけなら、仕上がりの一部を直せば済む。対象を取り違えると、そうはいかない。別のものを作ったのだから、作った分はすべて使えない。この記録では、ページの組み替えに使った時間がまるごと無駄になった。
見落としやすいのは、取り違えたまま「検査に通った」と報告が来ることである。AI はページを作り、ページの検査を走らせ、合格を得た。検査は正しく動いていた。ただ、検査が調べたのは運営者が直してほしかったものではなかった。
つまり、合格の報告は「頼んだものができた」ことを意味しない。「AI が作ったと考えているものが、検査に通った」ことを意味する。対象がずれていれば、報告が丁寧なほど、使う人はずれに気づきにくくなる。
もう一つの損は、言い直しの回数である。運営者は三度言い直した。二度目は「最初から」と強く求めたが、何を直すのかは書き足されなかった。対象を名指さない言い直しは、同じ取り違えを繰り返させやすい。
04手本の指定は、対象・手本・移す性質の三つで一組になる
ここでいう手本とは、使う人が「この形にしたい」と考える、すでにある実物である。過去の自分の成果物でも、他人の公開物でもよい。手本を使う依頼は、次の四つを決めて初めて一組になる。
対象
動画の画面、紹介ページ、スライドの何枚目など、手を入れる物を一つに決める。
手本
形を借りたい実物。場所と範囲を示す。
移す性質
図の種類、表の列の組み方、見出しの付け方、文字の大きさの差など。
移さない性質
手本の中身・数字・主張・言語。対象の側の事実はそのまま残す。
四つ目が要る理由は、言語モデルが手本から形と中身を区別せずに受け取りうるからである。2022 年に発表された研究は、AI に例を見せたときの効き目の多くが、例の答えが正しいかどうかよりも、答えの種類、入力の文章の傾向、並びの形を示すことから来ていると報告した。手本は形を強く伝える。形だけを借りたいなら、借りない部分も書く。
境界も決めておく。手本の指定が向くのは、形・構成・見た目のように、言葉にしにくいが目で見れば分かる性質である。数値の正しさや規則への合致のように、手本を見ても判断できない性質は、手本ではなく基準として別に書く。
05資材の作成と審査では、過去の良い資材を手本にするときに効く
製薬企業の資材づくりでは、過去に審査を通った資材を下敷きにして新しい資材を作ることが多い。AI に下書きを頼むときも、良い過去の資材を手本に指すのは理にかなっている。ただし、手本の扱いを誤ると、資材審査で問題になるずれが生まれる。
| 場面 | 手本から移してよいもの | 移してはいけないもの |
|---|---|---|
| 製品紹介の資材の下書き | 章の順序、図表の型、注記の位置 | 手本の製品の効能・効果の表現、臨床成績の数字 |
| 審査コメントの書き方をそろえる | 指摘・根拠・修正案の並べ方 | 手本の資材に固有の指摘内容 |
| 説明会のスライドの英語版 | 日本語版の図の配置と強調のしかた | 日本向けの承認事項をそのまま海外向けにすること |
右の列が混ざると、承認された範囲を外れた表現や、別の製品の数字が下書きに入り込む。手本の形を借りることと、手本の主張を借りることは、審査の目から見れば別物である。
対象の取り違えも同じように起きる。「この資材を手本に、改訂版を作って」と頼めば、AI は改訂する資材として手本の側を書き換えるかもしれない。手本と対象が同じ種類の物であるほど、どちらがどちらかを書いておく必要がある。
06取り違えは、依頼の中でいちばん具体的な物に AI が結び付くことで起きる
記録の依頼文には、サイトの場所と「前日分のデザイン」という語があった。その日の分には、動画とそれを載せたページの両方がある。「デザイン」という語は、ページにも動画の画面にも当てはまる。AI は、場所が示されていて、手を入れやすい側であるページに結び付いた。
手本の側にも同じことが起きていた。運営者が借りたかったのは、手本の回に描かれた図や表の形である。AI はそれを、ページの並びや見出しの付け方という形で受け取った。手本を開いて図表の作りを確かめた跡は、AI の報告に見られなかった。
AI がそのまま作り始める理由もはっきりしている。Anthropic の Claude Code の手引きは、Claude は作業が終わったように見えたところで止まると書いている。自分で走らせられる確かめ方がなければ、終わったように見えることだけが手がかりになる。今回の検査は、取り違えた対象の側で合格を出した。
同じ手引きは、ぼんやりした依頼の代わりに、具体的なファイルを指し、手本になる既存の作りを指して、それに倣って作らせる書き方を勧めている。画面の見た目を直すときは、手本の画像を貼り、仕上がりの画面を写して手本と比べ、違いを列挙して直させる書き方を例に挙げている。手本を指すだけでなく、手本と並べて比べるところまでを依頼に含める、ということである。
07明日からは、対象と手本を分けて書き、作る前に復唱させ、作った後に並べて比べさせる
手順は三つある。
- 対象と手本を別の行に書く。「直すもの:前日分の動画の画面」「手本:過去の三つの回の図と表」のように、行を分ける。続けて、移す性質と移さない性質を一行ずつ書く。
- 作る前に復唱させる。「作り始める前に、直す対象と、手本から取り出した性質を箇条書きで返して」と頼む。対象の名前が自分の考えと違えば、この時点で止められる。
- 作った後に並べて比べさせる。仕上がりと手本を並べ、移すと決めた性質ごとに、そろった所と違う所を挙げさせる。検査の合格とは別に、この比較を報告に含めさせる。
復唱は数行で済む。取り違えたまま作った分をやり直す手間と比べれば、ずっと小さい。Anthropic のプロンプトの手引きも、例は出力の形・語調・構成を導く確かな手段だとしたうえで、例と指示を区別できるよう囲って示すことを勧めている。手本と対象を分けて書くのは、この区別を依頼の中で行うことである。
- 理想の形は、言葉で説明するより良い実物を手本に指すほうが多くを一度に渡せる。ただし手本の指定は、対象・手本・移す性質・移さない性質の四つで一組になる。
- 対象を取り違えると、検査に通っても作った分はすべて使えない。合格の報告は、AI が作ったと考えている物が通ったことしか意味しない。
- 作る前に対象と借りる性質を復唱させ、作った後に手本と並べて違いを挙げさせる。資材の下書きでは、手本の形は借りても、効能の表現や数字は借りない。
良い実物を指すことは、言葉にしにくい理想を AI に渡すいちばん速い方法である。速いぶん、どれを直すのかという一点がずれると、作業のすべてが別の物に向かう。手本を見せる前に対象を名指し、作る前に AI の口から言い直させる。この数行の確認が、手本の力を目的の物に届ける。
- Anthropic. Best practices for Claude Code. Claude Code Docs. https://code.claude.com/docs/en/best-practices
- Anthropic. Prompting best practices. Claude Developer Platform Docs. https://platform.claude.com/docs/en/build-with-claude/prompt-engineering/claude-prompting-best-practices
- Min, S., Lyu, X., Holtzman, A., et al. Rethinking the Role of Demonstrations: What Makes In-Context Learning Work? arXiv:2202.12837, 2022. https://arxiv.org/abs/2202.12837
- Brown, T. B., Mann, B., Ryder, N., et al. Language Models are Few-Shot Learners. arXiv:2005.14165, 2020. https://arxiv.org/abs/2005.14165