01運営者は、AI の説明に出た「本契約」と「非同期」の意味を、判断の前に聞いた
2026 年 7 月のある日、運営者は AI と作業を進めていた。AI の説明には「本契約」という語が出てきた。運営者は先に進む前に、それは何を契約するのかと AI に尋ねた。
続けて運営者は、「契約」の中身をもう一度聞いている。同じ日には、AI が使った「非同期」という語についても、この文脈ではどういう意味かを尋ねた。
記録に残っているのは、三つの質問と、その後に判断を続けたという流れである。AI がどう答えたかの全文は、この回の材料には入っていない。それでも、型ははっきりしている。分からない語が出たら、その場で止まって意味を聞く。答えを聞いてから、進めるかどうかを決める。
この回では、この小さな習慣がなぜ承認の質を左右するのかを確かめる。
02意味の分からない語を残した承認は、AI の案の一部にしか同意していない
AI の案に「それで進めて」と返すことは、案の中身に同意することである。案の中身は言葉でできている。その言葉の一つが分からないなら、その部分については、同意したのか分からないまま同意したことになる。
AI はこの区別をしない。「はい」と返されれば、案の全部が受け入れられたと扱い、次の作業に進む。分からなかった語も、AI が考えていた意味のまま、次の作業の前提になる。
| 見るところ | 語を聞かずに承認する | 語の意味を聞いてから承認する |
|---|---|---|
| 同意した中身 | AI が考えていた意味のまま | 使う人が理解した意味 |
| 食い違いが分かる時点 | 作業が進み、結果が出た後 | 承認の前 |
| 食い違ったときの損 | 作り直し、または誤った前提での運用 | 質問 1 つと返答 1 つ |
| かかる時間 | ゼロに見えるが、後で払う | 1〜2 分 |
表の右の列にかかる手間は、質問を一つ打つだけである。左の列の損は、食い違いに気づくまで大きくなり続ける。
03一つの語に二つの意味があると、承認した中身がそのまま入れ替わる
運営者が聞いた二つの語は、どちらも意味が一つに決まらない。
「本契約」は、契約書の中では「この契約書そのもの」を指す。一方で取引の場面では、仮契約や基本合意の後に結ぶ「正式な契約」を指すことも多い。前者なら、いま目の前にある文書の話である。後者なら、まだ結んでいない、これから結ぶ契約の話になる。どちらと取るかで、承認しているものが変わる。
「非同期」も同じである。ウェブ技術の用語集として広く使われる MDN は、二つの使い方を挙げている。一つは通信の意味で、メールのように、送る・受け取る・処理するが互いを待たないやり取りを指す。もう一つはソフトウエアの設計の意味で、ある作業を頼んだ後、その完了を待たずに元の作業を続ける作り方を指す。
ソフトウエアの意味で「この処理は非同期にします」と言われたら、結果はすぐには画面に出ない、ということでもある。使う人の操作や待ち時間に関わる。人のやり取りの意味なら、返事をすぐに求めない運用の話になる。同じ一語で、承認する中身がまったく違う。
意味が一つに決まらない語を、使う人が自分の知っている意味で読み、AI が別の意味で書いている。この状態で交わした「はい」は、両者が別々のものに同意している。
04聞くべき語は、初めて見る語と、文脈で意味が変わる語である
すべての語の意味を聞く必要はない。聞くべき語は四つの種類に分かれる。
初めて見る語
技術の用語、他部署の用語など。推測で読まない。
意味が二つある語
「本契約」「非同期」のように、場面で指すものが変わる語。
日常と違う意味の語
「有意」「同等」のように、日常の意味と専門の意味がずれる語。
略語と内輪の言い方
長い作業の途中で、AI が自分で短く呼び始めた名前。
境界も決めておく。意味によって判断が変わらない語は、聞かなくてよい。たとえば、内部で使う部品の名前が分からなくても、出来上がりの動きが決まっていれば承認には響かない。
判定の基準は一つである。その語の意味が違っていたら、承認するかどうかが変わるか。変わるなら、聞く。
文化審議会が 2022 年にまとめた「公用文作成の考え方」は、書き手の側の心得として、日常で別の意味に使われる語は混同を避けるよう求めている。AI はこの心得を毎回は守らない。だから読み手の側で、混同が起きそうな語を拾う必要がある。
05資材審査では、AI が使った語の取り違えが、そのまま審査の結論になる
製薬企業で資材審査に AI を使う場面を考える。AI に資材の案を読ませると、「この表現は、比較試験の結果と同等と言える範囲にある」のような所見が返ってくる。
ここでの「同等」が、統計の手順で示した同等性なのか、数字が近いという日常の意味なのかで、審査の結論は逆になりうる。前者には試験の設計が要る。後者を資材に書けば、根拠のない比較になる。
「有意」も同じである。統計的に有意という意味か、意味がある、役に立つという意味か。AI の所見の中でこの語が出たら、どちらの意味かを聞いてから判断に使う。
| AI の所見に出る語 | 専門の意味 | 日常の意味 | 取り違えたときの影響 |
|---|---|---|---|
| 同等 | 試験で同等性を示した | 数字が近い | 根拠のない比較を通す |
| 有意 | 統計的に有意 | 意味がある | 差が無いのに差があると書く |
| 本契約 | この契約書そのもの | これから結ぶ正式な契約 | まだ無い契約を前提に進める |
| 非同期 | 完了を待たない処理 | すぐ返事を求めない運用 | 画面の動きや運用を誤って承認する |
審査の仕組みそのものを AI や開発者に作らせるときも同じである。仕様の説明には「非同期」「キュー」「バックエンド」のような開発の語が混ざる。審査の担当者がそれを承認するなら、その語が審査の流れのどこをどう変えるのかを、業務の言葉で言い直させてから承認する。
06AI は語を説明せずに使い、使う人の「はい」を理解の証拠として扱う
この食い違いが起きる理由は、AI の側に二つある。
一つ目は、AI は会話の流れに合った語を選ぶが、読み手がその語を知っているかは確かめないことである。長い作業の中で AI が使い始めた語は、AI にとっては説明済みの語になる。使う人にとっては、どこかで一度見ただけの語のままである。
二つ目は、AI が使う人の言うことに合わせやすいことである。Anthropic の研究者らによる 2023 年の論文は、主要な AI アシスタントに、利用者の考えに沿った答えを返す傾向が広く見られると報告した。人の評価者がそうした答えを好むことが、原因の一つだとしている。使う人が「はい」と言えば、AI はそれを受け入れて進む。分かっていないのではないかと、自分から確かめ直すことは少ない。
Anthropic の公式の文書も、AI の誤りを減らす手だてとして、分からないときは分からないと言ってよいと AI に伝えること、主張ごとに根拠を示させることを挙げている。同じ文書は、こうした手だてでも誤りは無くならないので、重い判断の前には人が確かめるよう書いている。語の意味を聞くことは、その確かめの最初の一歩にあたる。
07明日からは、承認の前に「この文脈で何を指すか」と「何が変わるか」を聞く
手順は四つある。
- 引っかかる語に印を付ける。第 4 節の四種類に当たる語を、承認の前に拾う。
- この文脈での意味を聞く。「ここでの○○は何を指すか。もう一つの意味ではないか」と、候補を並べて聞く。
- 自分の言葉で言い直して確かめる。「つまり△△ということか」と返し、合っているかを AI に答えさせる。
- 意味によって判断を決める。その意味で承認してよいか、承認の文に意味を書き添えるかを決める。
語が多い報告では、先回りもできる。承認の前に、「この案の中で、私が別の意味に取りそうな語を五つ挙げ、この文脈での意味を書いて」と頼む。AI が自分で候補を出すので、拾い漏れが減る。
承認の返事に、取り違えやすい語の意味を一行添えるのもよい。「本契約は、これから結ぶ正式な契約の意味で承認する」と書けば、AI はその意味を次の作業の前提にする。後で記録を読み返す人にも、何に同意したかが残る。
- 意味の分からない語を残した承認は、AI が考えていた意味に同意したことになる。食い違いは、作業が進んだ後で見つかる。
- 聞くべき語は、初めて見る語、意味が二つある語、日常と違う意味の語、AI が作った略語の四種類。意味によって判断が変わる語だけを聞けばよい。
- 承認の前に「この文脈で何を指すか」を聞き、自分の言葉で言い直して確かめる。承認の返事にはその意味を一行添える。
AI に仕事を任せると、承認の回数が増える。一回ごとの承認は短い返事で済むので、分からない語を読み流したまま「はい」と返しやすい。その一語が、承認した中身を入れ替えることがある。運営者が「本契約」と「非同期」で止まったのは、その一語を承認の前に片付けるためだった。分からない語を聞くことは、知識が足りない印ではない。何に同意するのかを決める作業の一部である。
- MDN Web Docs. Asynchronous. MDN Glossary. https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Glossary/Asynchronous
- 文化審議会. 公用文作成の考え方(建議). 文化庁, 2022. https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/93651301_01.pdf
- Sharma, M., Tong, M., Korbak, T., et al. Towards Understanding Sycophancy in Language Models. arXiv:2310.13548, 2023. https://arxiv.org/abs/2310.13548
- Anthropic. Reduce hallucinations. Claude Developer Platform Docs. https://platform.claude.com/docs/en/test-and-evaluate/strengthen-guardrails/reduce-hallucinations