01運営者は、スライドを読み上げるだけのナレーションを AI に作り直させた
2026 年 4 月、運営者は AI と一緒に、スライドに音声の解説を付けた動画を作っていた。AI が用意したナレーションは、スライドに書かれた文をほぼそのまま声にする形だった。
運営者はこれを受け取らなかった。スライドを読み上げるだけなら、ナレーションを付ける意味がない。スライドに書かれた内容の本質を、声で説明する形に直してほしい。そう AI に返した。
同じ日、運営者はさらに一歩進めた。手元の原稿の最新版を基準に指定し、その原稿の語り口に合わせるよう求めた。語り口の中身も言葉にした。講演者が聞き手に語りかけること。スライドの要点をかみ砕くこと。「なぜ重要か」と「具体的にどういうことか」を解説すること。
最初の返事は「意味がない」という違和感だった。二度目の依頼は、語り方の定義になっていた。この回では、この間に何が起きたのかを取り出す。違和感を、AI がそのまま使える定義に変える手順である。
02「読み上げ」への違和感は、ナレーションに役割が無いという指摘である
「読み上げだ」という不満は、声の質や速さの話ではない。ナレーションが、スライドに無いものを何も足していない、という指摘である。
スライドとナレーションは、同じ時間に同じ人へ届く。スライドの文を声でもう一度言えば、聞き手は同じ情報を二度受け取る。新しく分かることは増えない。
だから直すべきは、言い回しではなく役割である。ナレーションは何を受け持つのか。それが決まっていないと、AI は手元にある唯一の材料、つまりスライドの文を使う。
03同じ文を目と耳に重ねると、聞き手の理解は下がる
読み上げが無意味なだけなら、害はない。ところが教育心理学の研究は、害があることを示している。
教育心理学者のスウェラーは、同じ情報を複数の形で重ねて示すと、学習を助けるどころか妨げると整理した。この現象は冗長性の原理と呼ばれる。聞き手は、目で読む文と耳で聞く文を突き合わせることに頭を使い、中身の理解に回す余力が減る。
2023 年の文献レビューは、この効果に条件があることも示した。内容の重複が害になりやすいのは、その分野の予備知識を持つ聞き手である。初学者は、複雑な内容なら重複から助けを得ることがある。
製薬企業の資材の聞き手は、多くが医師や薬剤師、社内の専門職である。予備知識のある聞き手ほど、読み上げは理解の妨げになりやすい。
語りかける口調にも根拠がある。マイヤーは、学習用の教材の言葉を形式ばった書き言葉から会話の口調に変えると、学んだことを新しい問題に使う力が上がると報告した。11 の比較のすべてで差が出た。ただし、くだけすぎると効果は落ちる。
04定義は、語り手のトーンと、言い足す二つの中身でできている
運営者の二度目の依頼を分解すると、ナレーションの定義は四つの要素に分かれる。どれも、AI に渡す指示の 1 行になる。
語り手
講演者として話す。資料を代読する係ではない。
聞き手
目の前の聞き手に語りかける。予備知識の水準もここで決める。
なぜ重要か
その要点が聞き手の判断や仕事にどう効くかを言う。
具体的に何か
例、数、場面で、要点を一段かみ砕く。
1 と 2 がトーンを決める。3 と 4 が役割を決める。トーンだけを指定すると、口調は柔らかくなるが、言う中身はスライドの文のままになりうる。役割だけを指定すると、中身は増えるが、書き言葉の解説文になりうる。両方をそろえて、はじめて定義になる。
| 見るところ | 読み上げ | 本質の説明 |
|---|---|---|
| ナレーションの材料 | スライドの文 | スライドの要点と、そこに無い理由と例 |
| 話し手の立場 | 資料を代読する係 | 聞き手に語りかける講演者 |
| 聞き手が新しく得るもの | ほとんど無い | 要点が重要な理由と、その具体 |
| スライドとの関係 | 同じ文を重ねる | スライドを指しながら、意味を足す |
定義には境界もある。本質の説明は、スライドを無視して自由に話すことではない。話す順はスライドの要点に従い、要点を一つずつ取り上げる。足すのは理由と例であって、別の主張ではない。
05資材審査では、かみ砕いても効能と数値の文言は変えない
製薬の仕事でも、スライドに声を付ける場面は多い。社内の研修動画、製品説明会の講演スライド、医療関係者向けの解説動画などである。その下書きを AI に頼むこともできる。
ここで、本質の説明の定義に一つ柵を足す必要がある。かみ砕くとき、効能・効果、用法・用量、副作用の頻度、試験の数値の文言を言い換えない。
理由ははっきりしている。「なぜ重要か」を語らせると、AI は要点を強く言い表そうとする。その過程で、承認された範囲を超える言い方や、数値の丸めが入りうる。声の資材も、スライドと同じく審査の対象になる。
だから、資材のナレーションでは定義を二層にする。変えてよいのは、語りかけの口調と、理由と例の言い足しである。変えてはならないのは、承認内容に関わる文言と数値である。この二層を指示に書いておけば、審査する側も、どこを重点的に見ればよいかが分かる。
審査の担当者がナレーションを見るときの問いも、ここから決まる。スライドに無い主張を足していないか。足した例は承認の範囲の中にあるか。数値はスライドと一字一句同じか。
06AI は、役割を言われないとスライドの文を言い直す
なぜ AI は読み上げに近いナレーションを返すのか。仕組みは単純である。
「このスライドにナレーションを付けて」とだけ頼むと、AI が受け取る材料はスライドの文だけになる。誰が、誰に、何のために話すのかは書かれていない。材料が文だけなら、その文を言い直すのが、依頼から外れない最も確実な答えになる。
Anthropic が公開している Claude への指示の書き方の指針は、この点に答えを出している。役割を一文で与えるだけで、Claude の振る舞いと口調がその用途に絞られる。指示の背景や理由を伝えると、目的に合った答えが返りやすい。
運営者の二度目の依頼は、この二つを両方満たしていた。講演者という役割を与え、聞き手に語りかけるという口調を指定した。さらに、何を言い足すかを「なぜ重要か」「具体的にどういうことか」の二つで示した。基準になる原稿も渡した。違和感を言葉にした結果、AI に足りなかった材料がそろったのである。
07明日からは、語り手・聞き手・言い足す中身・変えない文言を書いて渡す
ナレーションを AI に頼むときは、スライドに加えて、次の五つを渡す。
- 語り手を書く。「講演者として話す」のように、誰の立場で話すかを一文で書く。
- 聞き手を書く。誰に語りかけるか、その人がどこまで知っているかを書く。医師向けか、入社 1 年目の社員向けかで、かみ砕く深さが変わる。
- 言い足す中身を書く。要点ごとに「なぜ重要か」と「具体的にどういうことか」を言い足し、スライドの文はそのまま読まない、と書く。
- 変えない文言を書く。効能・用法・数値・注意の文言はスライドどおりに言う、と指定する。
- 手本を渡す。語り口の基準になる原稿や過去の回があれば、それを指定する。
そのうえで、最初は 1 枚分だけ作らせる。読み上げに戻っていないか、言い足した例が範囲を越えていないかを確かめる。合っていれば全体に広げる。外れていれば、どの要素が足りなかったかを指示に書き足す。
この五つは一度書けば使い回せる。次の動画では、聞き手と手本を差し替えるだけで済む。
- 「読み上げだ」という違和感は、ナレーションに役割が無いという指摘である。スライドの文を声で重ねても、聞き手が新しく得るものは無く、予備知識のある聞き手ほど理解の妨げになりやすい。
- 本質の説明は、トーンと役割の二つで定義できる。トーンは語り手と聞き手、役割は要点ごとに「なぜ重要か」と「具体的にどういうことか」を言い足すこと。製薬の資材では、効能と数値の文言は変えないという柵を加える。
- AI は役割を言われないと、手元の唯一の材料であるスライドの文を言い直す。語り手・聞き手・言い足す中身・変えない文言・手本を渡し、1 枚分で確かめてから広げる。
「意味がない」と感じた時点では、AI に渡せる言葉はまだ無い。その感覚を、誰が誰に話すのか、何を言い足すのか、という定義に変えたとき、AI は直し方を知る。違和感を捨てずに分解することが、AI に語りを任せるときに使う側が持つべき力である。
- Sweller, J. The Redundancy Principle in Multimedia Learning. In: Mayer, R. E. (ed.) The Cambridge Handbook of Multimedia Learning. Cambridge University Press, 2005. https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-handbook-of-multimedia-learning/redundancy-principle-in-multimedia-learning/1CB52515DB655365BDBEBD85FEFD680A
- Trypke, M., Stebner, F., Wirth, J. Two types of redundancy in multimedia learning: a literature review. Frontiers in Psychology, 2023. https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2023.1148035/full
- Mayer, R. E. Personalization, Voice, and Image Principles. In: Multimedia Learning, 2nd ed. Cambridge University Press, 2009. https://www.cambridge.org/core/books/multimedia-learning/personalization-voice-and-image-principles/97F9B31362E6491806A4718FECCADE3D
- Anthropic. Prompting best practices. Claude Developer Platform Docs. https://platform.claude.com/docs/en/build-with-claude/prompt-engineering/claude-prompting-best-practices